メールの輪
第131号
平成23年1月1日発行
三原市老人大学
メールの輪新聞 編集委員会
2011年元旦 
 
 
 
 
 
 
新春を迎えて 三原市老人大学 学長       学長  白須 義人  
 卯年の新春を迎え、学生、大学院生の皆さんにとって、今年がお元気で明るく希望に満ちた年になりますように心から祈念いたします。

 敗戦後、わが国は真の独立を目指しましたが、結局アメリカの傘のもとに入り、経済的に豊かであれば、という親への甘えに似た気持ちが生まれ、これが、現在の自信のなさと責任転嫁に表れていると思います。

 しかし、日本人は自立したら、爆発的な力を発揮できる国民です。 大河ドラマ「龍馬伝」で表現された、明治維新へ導いた龍馬の発想と構想力と行動力は、日本人のDNAに連綿と受け継がれているはずです。

 欧米に蹂躙される危機から、国を救おうと懸命に「大政奉還」を成し遂げ、民主化のために「船中八策」を練った龍馬のあの思いを、表現したいと考えて、私は大学祭に龍馬の言葉「世の人は我を何とも言わば言え我が為すことは我のみぞ知る」の書を出展しました。 私たちは甘えを捨て、わが国を真に独立した国にし、安全と福祉を私たちの手で築き上げ、龍馬が描いた「みんなが笑って暮らせる」国を目指したいと思います。

 そして、今年を、兎のように、わが国が大きく跳躍する年にしたいものだと念じております。  
 
 
 
 
 
 
 春夏秋冬、四季に恵まれた我が国の自然の移り変わりは、世界の何処の国でも味わえない有難い恩恵です。季節の変化に合わせて生活のリズムにも区切りが有り、楽しんでいるうちに、今年も新年を迎えました

しかし、最近は過去に経験したことのない、異常な季節変動による災害や、鳥獣による被害などの対応に追われるようになり、季節の恩恵と言う感覚が失われているような気がします

人間が作り出した生活環境破壊、地球温暖化防止に人類は真剣に、目を向けなければならない時期に来ていると言うのに、相変わらず、国の損得の議論だけで、地球を救う話は纏まらない。メキシコのカンクンで開かれた[COP16]でも話は纏まらないままでした

目を転じて身の回りを観察して見ると、佐木島にも待望の光ケーブル通信設備の工事が始まり、春には「ダイヤル接続のIT過疎地」から脱却できるようです

師走と云う字のごとく気忙しい十二月、年賀状つくり、クリスマス(クリスチャンでもないのに)の飾り付け、パーティー、街のイルミネーション、紅白歌合戦、大晦日、そして目出度く新年を迎える。これこそ平和で有ればこそ、です

年末近くなって尖閣諸島、北朝鮮の砲撃問題・・・きな臭い出来事に早くも、対抗するための防衛力増強が論じられているようであるが「絶対に戦争はしてはならない」ことを肝に銘じてほしい。    
                 (文責:安棟) 
 
 
 
 
 
平成23年 年賀状特集ページ  NO1
 
 
 
 
 
平成23年 年賀状特集ページ  NO2 
 
 
 
 
 
 
 
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東京便り     NO.18       佐々木 朝雄
 
 
新春を迎えて  

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。 皆様にとりまして素晴らしい年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。  

 東京に転居して早いものですもう2年目の正月を迎えました。

老人大学の想い出  

 三原の老人大学に入学しましたのが平成6年4月で、ワープロコースで4年間学び、平成10年4月パソコンコース新設と同時にパソコンコースに変わって、平成21年三月までの15年間楽しく学ばせてもらいました。三原の老人大学は卒業がなく、希望すれば毎年入学できる生涯学習制度で他に類を見ない優れた学びの場でした。

 そして、今も心に残る思い出は、「メールの輪」新聞の発行に編集委員として参加したことです。平成12年3月1日創刊号を発行し、平成20年6月1日号で100号なり、これを記念し て関係者が集いパーティーを行ったこと、また、三原テレビで放映もされたことは良い思い出となりました。  

 今年新年号が131号を迎えたことは、老大のテーマである「学んで輝き!伝えて輝く!」の実践された一つではないでしょうか。また、平成17年8月から老大のホームページを発信しようと有志で取り組むことになり、市・教育委員会・生涯学習課の指導を受けながら挑戦し、12月24日待望の「老人大学のホームページ」が公開されました。それ以降毎月ホームページの更新が出来るのも「メールの輪」新聞が継続発行されるためと感慨深いものがあります。

シャンソンコンサートを鑑賞   

 横浜居住の三原時代からの友人から、神奈川県民ホールでの「大庭照子ありがとうコンサート」の招待状が届いたので家族3人で、横浜見物を兼ねて早めに出かけ、10年振りに中区山下町一帯に所在する中華街を見物してから、昼食に本場仕込みの中華料理を食べました。

 そして歩いて近い会場の県民ホールに着くと友人夫妻に迎えられ暫く会談した後、会場に入りました。  
 歌手の大庭照子さんは、昭和47年NHK「みんなの歌」で「小さな木の実」がヒットし、全国各地でスクールコンサート開催、最近は老人施設や病院コンサートで全国を回って居られとても72歳には見えず、美しい声にもボリュームと張りのある歌で魅了し、2時間があっというまに過ぎた楽しいコンサートでした。また、ピアニストの方が広島・上下出身でとても身近に感じたところです。  
 
 
 
 
 
昭和20年代のみはら情景     
 
 
昭和21年4月故郷を出て約16〜17時間をかけて三原駅に降り立つてから、はや65年の歳月が流れてしまい ましたが、三原の事は余り知らなく、何故だろうか考えて見ると20年代は戦後復興、食料難の時代で30年代は本格的な生産体制となり、40〜50年代は高度成長代となり、多忙を極めた時代で、定年退職後一昨年迄は其の延長線にあつた為と思われる。

 ボケ防止にと思い現在までのことを振り返り、取り纏めることとした、20年代の三原市の地図がないか図書館にて探して頂いたが見当たらなかった。 其の一部を紹介する事とした、遠い昔の事で間違った事もあるかと存じます。

三原駅周辺

 当時三原駅の駅舎を出ると、大きな松の木に囲まれた田島旅館かあり、東側の道筋に闇市が並ぶ。  
 東側には東洋繊維且O原工場の正門があり、正門の西側には東繊の病院があり、未だ城壁、水道の残っている所に浮き城会館があり、東繊の色々な行事が行なわれていた。

 南側は港まで、埋め立てた儘の空き地となっており西側には労働会館があり、当時結婚式場として利用されていた、近くには映画館・洋裁学校、労働基準監督署等もあり東繊の正門前には三原駅の二階建ての信号所があつた。 

 西側には塀に囲まれた、日本専売公社三原出張所の大きな建物があり、帝人通りにつながる。

◆帝人通り

 帝人通りには、三原市役所、三原郵便局、帝劇・東宝劇場、万歳酒造、青果市場等があり、両側には、各種のお店が立ち並び、夜遅くまでに帝人に勤める人達でににやかであった。

◆館町・本町・西町通り  

 館町には広島女子師範学校があったが、広島大学に統合され広島に移転した、付属小学校・中学学校が残った、三原小学校、三原市立図書館、三原商工会議所等があり、本町通りに入ると、三原警察署、三原消防署、松竹座、太平館等があり、本町から西町(長橋通り)まで、両側には各種のお店が立ち並び、夜遅くまでにぎやかであつた、下町通りには酒蔵会社、家具店等大きな店が立ち並ぶ、西町の山陽道には醤油製造会社、学校の制服製作会社、大きな本屋、昔の儘の大きな家屋が立ち並ぶ。   然し下町通りには鍛冶屋、桶屋等昔ながらの店があり、表通に比べ、侘しさを感じる街並みであつたと記憶しておる。

◆宮浦町・皆実町

 三原から新倉町に出るには、西町・西宮・西野町・頼兼町を通る山陽道路と西宮から西野川の沿った農道と三原高校の横を通る道の三本しかなく、此の間は全て水田で、ポツポツ建つているのは農機具を入れる小屋で、農作業も殆ど手作業で、農繁期には家族総出で作業をしておつた、牛や馬も貴重な労働力であり、水車なども大切な道具であつた。

◆古浜町の塩田 
 
 古浜のあたりは江戸時代から塩田が広がっていた、区切られた四角い区画に、規則的に並ぶ三角の山塩が採りやすい夏などは、朝四時頃より仕事をはじめ、海水を放り込んだり、泥をさばいたり、左右に桶をかついて海水を運ぶのも全て人力の仕事であった。  
 
( 添付写真は三原市資料による)  
     
     
 
 
 
 
 
 
自分も坂本竜馬を演じた
 青年団芝居で熱演
      宮畑 明文  
 
 明けましておめでとうございます。今年も健康でありたい。元気でなければ何をすることも出来ません、健康が一番だと思っています。  

 しかし元気でなくても、TVドラマ竜馬に出てくる正岡子規が、重い病気にもかかわらず、前向きに意欲的な仕事をする姿は凄いと思いました。竜馬とは異なる感銘を受けました。

 一方岩崎弥太郎が竜馬の死に至るまでの生き様の描写には、どうにも納得できないものでした。自分も三菱重工に勤務していたので、余計に感じたのかもしれませんが毎回、違和感を感じていました。最後のシーンで竜馬の死に慟哭して、竜馬の思いにやっと気づいたという場面がありましたが、それでも尚納得は出来ませんでした。

 それにしてもあの時代の日本人の生き方は凄いなあと思います。誇りになる歴史が日本にはいっぱいあるのに、そんな歴史を教えない戦後の日本の教育方針が、だんだんと日本をひ弱な国にしてしまったのではないかと思う。  

 さて、竜馬のドラマを見ながら思い出しました。20歳の頃だった昭和29年だったと思う。秋祭りに青年団で芝居をやることになりました。その演目は「坂本竜馬」で、竜馬が近江屋で暗殺されるところが見せ場でした。

 私の生れも育ちも、その頃まだ賀茂郡東野村でした。竹原駅から約5km.北に入った小さな村でした。賀茂川沿いに下野村、東野村と上流に沿ってありました。大崎にも豊田郡東野村がありました。当時は賀茂郡と豊田郡の町村が入り組んでいて、ややこしかったので編成替えをして、沿岸部が豊田郡、山間部が賀茂郡となったようです。そのとき竹原町と合併して、豊田郡竹原町東野となりました。  

 当時はまだどこの村でも青年団活動が盛んで、秋祭りや盆踊りには積極的でした。その頃は盆踊りコンクールも各町村から多くのチームが参加して競演をしていたものでした。おそらくこの頃盆踊りコンクールに参加された、老大生もおられるのではないかと思います。あまり娯楽のない時代でしたので、盆踊りや祭りは楽しみで、人もたくさん集っていました。  

 そういう時代だったので、青年団が芝居をすることも、珍しいことではありませんでした。竹原町に素人劇団を持っているひとがいたので、その人に指導をお願いして芝居をやることになりました。台本からかつら、着物、小道具に至るまでその人達から借りたり、教えてもらって手作りをしたり、自分の持ち物で利用できるものは使用して、舞台の段取りやセットの準備をしました。  

厳しい稽古に励む 

 いま最も鮮明に覚えているのが、芝居の最後に暗殺されて死んでいくときの演技でした。最後のセリフと斬られて倒れていく時、刀の鍔なりがカチカチカチカチとなる演技でした。鍔なりを出すのに、鍔の占め具合を少し緩めて何度も何度も練習しましたがなかなか合格しませんでした。(刀は真剣で刃を落としていましたが重いものです)   

 なぜ自分が主役の竜馬の役になったのかは覚えていませんが、配役が決まるとみんな懸命に、土曜日の夜と日曜日は公民館に集って稽古をしました。台本を渡されて自分のセリフと芝居の流れを掴むように言われました。どのくらい期間稽古があったのかよく覚えていませんが、3ヶ月位ではなかったかと思います。2人の先生が熱心に教えてくれたお蔭で、みんな演技も板につき、何とか開演の日を迎えることが出来ました。  

 当日公民館は一階も二階もいっぱいでした。一階は座布団を敷いて座っていましたが、肩がふれあう程でした。演じる者はみんな顔見知りばかりなので、どんな芝居をするのか興味があったのでしょう。  

迫真の演技にも拍手なく!

 50数年前のことなのに、不思議と覚えているのは、最後の場面の刺客に襲われて倒れていくところです。他の場面はほとんど覚えていません。

 3人の刺客が前や後ろ、横から切りかかってくるのに立ち向かう殺陣演技、この芝居一番の見せ場なので、脇役たちも熱が入っていました。このときの竜馬が切られて、最後のセリフを言う自分の演技が最も見せ場でした。

 斬られてよろよろと立ち上がりつつ、必死で振り上げている刀の鍔が、体と腕を震わせながら、カチカチカチカチと鍔鳴りの音を出しながら、ゆっくりと倒れていく殺陣演技でした。膝を突き、刀を杖に姿勢を正し、遠くを見るような目つきで、必死で声を絞り出すように「これから日本の夜明けだ・・・・・」と叫んで、ゆっくりと倒れていくところが最後でした。  

 満員の会場は、鍔なりの音だけが鳴っているような、シーンとして静まって舞台を見ていました。幕が下りてからも、しばらくは静まったままで、拍手ひとつ聞こえてきませんでした。自分ながら迫真の演技ができたと感じていました。拍手がなかったのがとても残念な思いでした。

 しかし会場を見ていた先生が、「幕が下りてもみんなシーンとしとったで、多分演技に感心しとったのか、あきれとったのかどっちかよ、たぶんあきれとったんで!」と言ってくれ、そして「ようやった、わしの十八番を取られたのお!」と言ってくれたのですが、やっぱりさびしい思いでした。  

 数日後「ようやったのお!」「えかったの!」と数人の村人たちから言われ、また「あんた、ええがいにやりんさったのを!」と年寄りから言われてようやく納得しました。  
 
 
 
 
 
師走に紅葉を訪ねて        泉 紘子  
 
サムネイル画像(クリックすると拡大表示されます) 
 明けましておめでとうございます。

  昨年の12月に、京都、大阪、奈良と 紅葉を巡って来ました。地元の人の言うにはいつもの年に比べて、京都の紅葉は色鮮やかで、長持ちしているそうです。ずいぶん遅くに行ったにもかかわらず 見事な紅葉に巡り会えました。

 京都に行く前に三原の仏通寺、等紅葉の名所も訪れたのですが、いつもの 鮮やかな色には、残念ながら巡り会えませんでした。紅葉する前に、風に吹かれてハラハラと落ちていました。幼い子供が紅葉の様なお手々で拾って、おばあちゃんに渡しているのが見ていて何ともほほえましい仏通寺の紅葉狩りでした。

 京都には娘が住んで居るので春には桜、秋には紅葉とゆっくり見て廻る事が出来ます。今年は、長岡京にある光明寺を訪れました。 山門をくぐると、もみじの落ち葉が長―い、幅の広― い、石畳のゆるやかな石段を赤く染めていました、信徒さんたちが揃いの法被で、竹箒片手に気の遠くなる様な作業をしておられました。おもわず『ご苦労様です!』とお礼を言ったら皆さん『こんにちは!楽しんで下さいネ』と明るい信徒さんたちでした。  

 若いイケメンの僧侶の方から『下りの道は紅葉街道ですから、楽しみにお参りして下さい』と聞き、楽しみに進みました。紅葉街道に出ました。思わず!!『ワアア!!綺麗!』見事な参道です。両側の石畳は落ち葉で真っ赤な、絨毯を敷き詰めたようです。上を見れば赤、黄、緑、それに木漏れ日の織りなす様は、言葉にならないほどです。見物に来ている人は、皆一様に上を見てあんぐりと口を開けて きれい、きれいの感嘆! 人間ビックリしたり、感激したりすると口が開くのですね。私はカメラ片手に、上を向いてパシャリ、しゃがんでパシャリ、 寝転がってパシャリ、本当に秋はいいな〜と思いました。

 次の日は奈良の友達の家に行きました。超セレブな友人は家の周りをイルミネーションで飾り道行く人たちの目を楽しませています。  

 近くにある秋篠寺に苔を見に行きましたが、これには事情がありまして、以前尋ねたのですが、カーナビを正しく理解できず道に迷って時間切れで、仕方なく入り口の所の少しだけ見える苔をかすかに見ただけで、残念に思っていたのでワクワクでした。山門の所にある大きな紅葉の下をくぐって見える景色は、ちょうどよい配置に植えられた樹木と、少し西に傾いた太陽から差す木漏れ日が、濃淡のある苔に反射して思わず息を呑みました。柔らかいビロードのようで周りの喧騒を静かに吸い込んでくれそうな苔と、燃える様な紅葉を見物できて幸せなひと時でした。  

 今年もカメラ片手に楽しいこと、綺麗な風景等をお届けしたいと思います。70歳になった私ですが日々何事もチャレンジと思いトライします、何か新しいことが出来ると、嬉しいものです。ちなみに 秋篠寺は秋篠宮のゆかりの寺です。  
 
 
 
 
 
佛通寺の幟旗   
(観光スポットに無粋では?)   中山 範之
 
 
 紅葉の名勝として県下に知られる佛通寺は、自宅から10分程度の近場にあり、毎年のように春の新緑、秋の紅葉を観賞に出掛ける。
参道両側に立てられた
幟旗 
 紅葉

 それでも紅葉は、その年の気象条件に左右されて、この40年の間で私が感激したのは5回に満たない。もっとも 本当の見ごろは3日程度と言われるからタイミングのせいかも知れないが・・・

 今年は急激な冷え込みもあって、見事な紅葉を期待して出向いたが、参道や山門前にずらりと並んだ「南無十一面観世音菩薩」の幟旗に驚いた。

 聞くところでは、10月28日に佛通寺において中国観音霊場合同法要が営まれ、その際に設置されたと言う。法要の盛り上げと参拝される信者の歓迎の意味かも知れないが、寄進者の名前入りの旗が並ぶ様は異様に映った。

 11月半ばの紅葉シーズンには各地から観光バスを含め、車を連ねて多くの人が訪れる。写真撮影を目的に訪れた方は、がっかりされたに違いない。

 毎年、もみじだよりがテレビで放映されるのに今年は佛通寺の名前が出ないと家の話題になったが、そのせいだろうか?・・・  

 例年もみじの期間中、大方丈・仏殿が一般公開され、拝観料を納めて十一面観世音菩薩の本尊や、釈迦三尊像が直に拝観出来るが、今年は10年に一度とされる西国33番霊場の「お砂ふみ」が第2禅堂に設けてあり、息災を念じてお参りした。  

 下手の写真も幟旗が邪魔で撮影するところがなく、上に向けてシャッターを切り、茶店で「ぜんざい」を食べて早々に引き揚げた。  
 
 
 
 
 
「かかしワールド」      安棟  勝  
 
 大分県山国川沿いの村が、合同で「かかしワールド」のイベントを数 ケ所で開いていた。覗いてみると村人が作業をしているのかと思う位、実に上手くできた「かかし」の村人が作業をしている。

 次の場所では「かかし」?と思ってそばに行ったら、動いた。お参りしている母子と、カメラマンだった?。  
 売店でトイレを借りて出てきたら、二升瓶を抱えて居眠りをし
ている「かかし」がいる。近寄って良く見ると、酔っ払いの姿態をよく観察して作ってあった。中々センスのある人が作ったものだろうと感心して帰った。  
 
 
 
 
 
今さら聞けない三原色          竹井 清夫  
 
 「三つのセンサーで色を判別!

 子供の頃、「三原色」であらゆる色が出来ると習いました。ですが、最近、赤、緑、青、黄の「四原色」の技術を使ったというテレビが宣伝されています。「三原色というのは、人間の目に色を感じるセンサーが三種類あるからです」と。ヒトやサルは、緑から黄、赤へと変わる色で、果物の食べ頃を見分ける必要が有ることから、三種類のセンサーを持つようになったと考えられています。ほかの多くの哺乳類はセンサーが二つしかなく、「赤と緑の区別がつきにくい」そうで色の感じ方がヒトと違うようです。  

 色のセンサーとなるのは、目の網膜の錐体細胞です。光の波長が比較的長い光には錐体細胞の「L錐体」が反応して赤を感じます。中くらいの波長は「M錐体」が反応して緑、比較的短い波長は「S錐体」が反応して青を感じます。この三つの細胞が感じる割合が脳に伝わり、虹にあるような、赤から紫までの間の波長を持つ多彩な色を区別できるのです。ヒトにある三種類の錐体がよく反応する「赤」「緑」「青」の組み合わせが、色を最も多く作れるのだそうです。  

 三原色を混ぜて、色を作る方法には二通りあります。一つは「加法混色」「光の三原色」などと呼ばれ、テレビや照明など、自ら光をはっする場合に利用されます。テレビ画面を細かく見ると、ごく小さな区画に赤、緑、青の光源が並んでいます。赤と青が光る紫、赤と緑が光る黄、全部光ると白、というように光る割合で多様な色を表しています。  

 シャープは赤、緑、青にそれらからは作りだせない鮮やかな黄を加えた「四原色」技術を使ったテレビを発売した。青も青緑へすこし近づけて表現できる色の範囲を広げ、金属の金色や、海のコバルトグリーンを本来の色に近づけたそうです。  

 色を作るもう一つの方法は、絵具やインクを混ぜる時の「減法混色」です。「色材の三原色」などと呼ばれ、モノに反射した光をみる場合の三原色です。「加法混色」とは反対に、色を混ぜるほど黒くくすみます。私達が物体を見るときに目に届く光は、モノに当たって跳ね返った光です。たとえば、植物の葉が緑に見えるのは葉っぱに当たった太陽光のうち、赤や青の光は光合成に使われて吸収され、残りの緑の光だけが反射されて目に届くためです。絵具の色は、吸収されずに反射している光を見ています。混ぜると吸収される光が増えるので黒に近づきます。「混ぜるほど鮮やかさが減る」ので、三原色だけで絵を描くのは実際には難しい。 自然界の表現には18色ぐらい欲しいと。  

 カラープリンターなどのインクでは、シアン青緑、マゼンタ赤紫,イエロー黄を三原色として使っています。この三原色は、原料の顔料が鮮やかなので混ぜてくすんでも多くの色が表現できるからです。でも完全な黒は作れません。ですから、三原色に黒を加えた四原色を使っています印刷現場では、三つのセンサーで色を判別!色とは不思議!  
 
 
 
 
 
チンパンジーの知性に驚く
  時代は終わった!  
 
 タンザニアで野生チンパンジーの研究を50年間続けてきた、英国出身のジェーン・グドールさん「76」が京都大学で会見して、環境教育の重要性を訴えた。国際霊長類学会に参加するために来日した。  グドールさんは世界で始めて野生チンパンジーの長期観察研究を始めた霊長類学者。野生チンパンジーが肉食をする、道具を使って行動するなどの画期的な発見を次々と発表した。現在は環境教育活動に力を入れ、世界中を飛び回り、年に約300日講演している。  

 50年の野生チンパンジー研究でわかったこととして「人類も自然の一部であり、特別な存在ではない」と強調。「こんなことが出来るのか」とチンパンジーの知性に驚く時代は終わった。ヒトとチンパンジーはゲノムでも1〜2%しか違いはなく、とても近い存在。知性があって当たり前と受け止めてほしい。あえてヒトとチンパンジーの違いを考えるとすれば「ヒトは遠い将来を考え、はるか昔のことを記憶できること」と指摘した。チンパンジーには「今」と「ここ」しかない。それをヒトの洗練された知性の証拠と考えるなら、ヒトが環境を破壊している現実を理解して、将来の地球のために出来ることを考えてほしいと。環境教育の重要さを訴えるためにグドールさんが来日した。  
 
 
 
 
 
パソコン談義            廣勢 一三  
 
パソコン大掃除のすすめ

 年末といえば大掃除!ですが、パソコンの掃除は「ちょっと心配」という方も多いのではないでしょうか。精密機器であるパソコンは、掃除のときには丁寧に扱う必要があります。

 とはいえ、正しいやり方を知っておけば、特に難しいことはありません。毎日手で触るため、意外と汚れがたまりやすいものですから、ピカピカにして新しい年を迎えましょう。

大掃除の準備をしよう

パソコンの大掃除に必要な道具をそろえよう

 まずは、必要な掃除道具をそろえましょう。  

特殊なものは必要あません。  

 柔らかい布、ハケ、掃除機、中性洗剤にバケツと水があればOkです。柔らかい布は、OAクリーニング用のクロスや不織布などを利用しましょう。メガネやカメラ用のものでもOKです。一方、中性洗剤以外の洗剤は、パソコンの故障や発火の原因になるため使ってはいけません。化学雑巾も同じ理由からNGです。
 パソコンの大掃除に必要な、布は2、3枚用意できればベストです(洗剤用、からぶき用)。

 洗剤は必ず中性洗剤で。研磨剤、界面活性剤、アルカリ成分を含む洗剤、揮発性の強いもの、化学雑巾などはダメです。

パソコンをシャットダウンし、電源ケーブルを抜こう

 道具がそろったら、大掃除ができるようにパソコンの準備をします。シャットダウンを行い、電源ケーブルを抜きましょう(本体へのプラグ、コンセントとも)。また、ディスプレイケーブルやキーボード、マウス、その他の周辺機器のケーブルも抜いておきます。取扱説明書に機種別のお手入れ方法が説明されているので、そちらにも目を通しておきましょう。

 パソコンをシャットダウン(スリープではなく)し、電源ケーブルを抜きます。すべてのケーブルを抜いておけば、大掃除がやりやすくなります。

マニュアルでお手入れ方法を確認しよう

 お使いの機種にあったお手入れ方法が次のマニュアルに記載されています。正しいお手入れのために、事前に内容を確認しておきましょう。

パソコン本体の掃除をしよう

パソコンのカバーをきれいに拭こう

 まずは、パソコンのカバー(外側)をきれいに拭きます。皮脂などの汚れが目立つ場合は、水、または水で薄めた中性洗剤を含ませて、水が垂れないように硬く絞った布で拭きましょう。

 水で薄めた中性洗剤を含ませ、硬く絞った布でカバーを拭きます。

 よく絞っていない布で拭くとカバーが濡れて, 本体内に水が入ってしまうおそれがあります。必ずよく絞りましょう。

通気口のホコリを掃除機で吸い取ろう

 通気口にホコリが詰まっていたら、掃除機で吸い取ります。特にデスクトップモデルでは、ふだん見えない部分の通気口をよく掃除しておきましょう。このとき、ハケなどで払おうとすると本体にホコリが入ってしまうことがあります。必ず掃除機で吸い取りましょう。

 通気口や通気ファンの部分に掃除機のノズルを近づけ、ホコリを吸い取ります。

  ハケなどで通気口のホコリを払おうとすると、本体内部にホコリが入ってしまうおそれがあります。

ディスプレイは水を使わずに拭こう

 ディスプレイ(画面)は、水や洗剤を使わずに乾いた柔らかい布で拭きます。タッチパネル搭載モデルで皮脂が気になる場合は、ガラスクリーナーを利用しましょう。ディスプレイが別になっているデスクトップモデルの場合、画面以外のカバーの掃除は本体カバーと同じ方法で行います。

 ディスプレイは乾いた布で拭きます。タッチパネル搭載モデルで皮脂が目立つ場合は、ガラスクリーナーを利用して拭きます。水や中性洗剤を利用して拭くと、ディスプレイがかえって汚れてしまうこともあります。  
 
 
 
 
 
お酒は健康の敵?味方?        廣勢 一三  
 
 人生のよきパートナーとして、お酒は人類の歴史とともに愛されている。

 冠婚葬祭や歓送迎会、また新しい年を迎えて祝うときや、1年の締めくくりにもお酒を飲み、お互いのコミュニケーションを円滑にする大きな役割を果たしている。

 適当なお酒はストレスの解消や心筋梗塞・狭心症を予防するなど、健康にも良い効果をもたらす。しかし、適量を過ぎるとアルコールに依存的になったり心拍数が増えて心臓に負担をかけてしまう。

 飲酒後の肝臓はアルコールを分解するために働いているが、毎日続くとオーバーヒートしてしまう。休肝日や定期診断などで肝臓をいたわりましょう。

健康習慣メモ 畑のエメラルド・枝豆
   

 枝豆は大豆の未熟な豆ということを、ご存知の通りである。ビールのおつまみといえば枝豆を思い浮かべる人が多いと思う。

 何故ビールに枝豆が合うかというと

◎ アルコールの分解を助ける。
◎ 肝機能の働きを高める。

 良質なたんぱく質、豊富なビタミン類とミネラル、植物繊維や鉄分も含まれ、豆と野菜の両方の栄養を持っている。

 アルコールとの組み合わせはとても理にかなった食べ方といえる。 おつまみには是非枝豆をどうぞ。  
 

 
私の散歩道(11)      廣勢 一三  
 
 昨年までは「成人の日」として休みだった1月15日は大変良いお天気だったので、久しぶりにカメラを片手に散歩に出かけた。

 林の中の散歩道を歩いていると、ピンクの花をつけたさざんかの木が20本ほど並んでいる、花はもう終わりに近く地面にはピンクの絨毯を敷き詰めたかのように花びらを撒き散らしている。

 大寒を前にさざんかも花を散らすのだ」と思いながら歩を進めると、1ヶ月ほど前はまだかたくて枝にくっついでいた梅の蕾が大きくふくらみ、今にも開花しようとしている。

 私は計画性が乏しく、その時の思いつきで物事を判断するが、自然はそのときのために何時も“きっちと”準備しているのだ。これも毎年同じことを繰り返しているから出来るのであろうか。  
 

 
 
今年もアロエの花が咲いた!  

 佐木島は確かに、三原市街地より 少し暖かいのか、冬の寒い季節でも毎年アロエの花が咲きます。  

 アロエも育ち過ぎて、庭の「流し場」の邪魔になる位繁殖しています。それだけに花も多くて、今年は11個付いていて中々きれいです  
 
 
  編集後記  
 
 年末になると、何故世の中が忙しくなるのでしょう?新年を迎えるということは矢張り大きな節目なのでしょう!人々の気持ちが、新年こそ世の中、少しでも良い方向に動いて欲しい!又そうなるのではと期待できるのも新年なのでしょう。昨年も色々な出来事がありましたが、平和で新しい年を迎えられる幸せに感謝しましょう。  

 新年号の編集は、皆様の助けを借りながら、安棟が担当させて頂きました。 お陰さまで多数の投稿を頂き纏める事が出来ました。有難うございました。  

 2月号は宮畑さんが担当されます。引き続き皆様のお力添えと、多数のご投稿をお願い致します。            (安棟記)