メールの輪  
 第134号
平成23年4月1日発行
 
 三原市老人大学
メールの輪新聞  編集委員会
 
 
       修了式 式辞         三原市老人大学  学長  白須義人
  
     本日は三原市老人大学の修了式にあたり、ご多多忙中にも拘わらず五藤市長様、高下市議会議長様はじめ多数のご来賓の列席を賜り、感謝いたしております。

 学生、大学院生の皆さんは、今年度もお元気ですべての課程を全うされ、修了式を迎えられることを心からお祝い申し上げます。講師の先生方には、能力の差があり、学生の目指す所も様々で、一人ひとりに合わせて指導して下さるご苦労は並大抵ではなかったことと拝察し、心からお礼申し上げます。
 
  三原市老人大学は、修了はあっても卒業はない、他に類を見ない生涯学習の理想的な大学です。学生、大学院生の皆さんは、来年度も新たな目標を掲げて挑戦し続けて下さい。ご入学をお待ちしています。

  学生、大学院生の皆さんの学習成果の最大の発表の場である大学祭は、年々レベルが上がり、今年度もコースの発表を、感動を覚えながら見せてもらいました。
 
  その中で、今年度目を引いたのは、体験コーナーの盛況でした。その一例として、陶芸コースの体験コーナーでは、予想以上に多くの申し込みがあり、準備された土が瞬く間になくなったようです。そして2日目も同様だったと聞いております。

  そのコーナーでは、お子さんを連れたお爺ちゃんやお婆ちゃんが幾組も、陶芸コースの学生、大学院生の手ほどきを受け、仲良く言葉を交わしながら、粘土を捏ねて思い思いの作品を制作しておられました。

   陶芸コースの方々が綿密な企画と準備を重ねられ、気配り精力的な手助けで大盛況だったようですが、陶芸コースは毎年、三原小学校との交流経験が大好評に繋がったと思います。
 
  昨年度の「あゆみ第36集」にも、小学生と「だるま土鈴」を制作するために、試作に時間をかけ交流授業では、児童と会話を交わしながら、児童の豊かな自由な発想を生かそうと苦心された様子がうかがえます。これこそ本学のテーマである「学んで輝き、伝えて輝く」を地で行く活動です。
 
  この陶芸コースは、講師の早川先生の熱意あふれるご指導は勿論ですが、研究熱心な大学院生や学生の方々が新しくはいられた方を、手を取って指導してこられた伝統が脈々と受け継がれていると思います。

 
  
最長老の石長孝さんは97歳のご高齢で制作を続けられ、毎年、私たち事務局員に茶碗を一つずつ贈って下さいます。いつまでもお元気で陶芸コース だけではなく、全ての学生、大学院生に、模範を示し続けて下さいますようお願い申し上げます。
 
  学生、大学院生の皆さん、来年度も石長さんを目標に頑張り、大きな生き甲斐見つけて下さい。
 
 
 
 
  3月11日午後2時46分、三陸沖を震源地とする大地震が発生した。M9.0、世界最大級の地震で震度7を観測した。東北〜関東まで長さ500q、幅200qにわたり、今まで点で発生していた震源が今回は線で起こり大地震となった。

▼500年〜1000年に一度の大地震といわれている。歴史的にみても平安時代の貞観地震(869年)が三陸沖の震源地に酷知しているとゆう説もある。近年の大地震では関東大震災(M7.9)また阪神・淡路大震災(M7.3)があった。

▼このニュースをみてすぐ、小松左京の「日本沈没」を思いだした。現在、あらゆる事柄の対処方法が内向きで、このままでは「日本滅亡」になってしまうのか心配だ。

▼テレビは勿論、新聞を開いても大地震・大災害の写真・記事ばかりだ。更に、驚いたことに放送番組面だ。NHKは震災関連のみであとは白紙、民放も13日までは同様で、日頃華美なタレントや芸人のCM場面がなく、いささか食傷気味だったので、この点ホットしたことは否めない。

▼最大の恐怖は、原発の事故だ。放射能漏れで30q以内の住人は退避か屋内待機指示が出た。被害は甚大で総理は自衛隊10万人の出動を命じ、諸外国の援助申し込みを受け入れた、また関東地方には計画停電を要請した。

▼死亡・不明者は2万人を超えるといわれている。全世界の目が今度の災害を注視している。我々日本国民も耐乏生活を覚悟し、再建・復興に邁進しよう !                               
                       (文責・山本)  
 
 
 
      謝 辞                学生代表    安棟 勝

           学生代表としてパソコン院4の安棟氏が謝辞を述べた。
 
           要 旨
1、五藤市長様をはじめ来賓の方々講師の方々のご臨席へのお礼

2、
白須学長の式辞、市長様・市議会議長様・教育長様の鄭重なご挨拶、ご祝辞、励ましのお言葉に対する修了生一同の肝銘と心からのお礼を申し上げた。


3、光陰矢のごとし!
(顧みますと、今年度4月の入学式にあたり、私達学生一同はそれぞれのコースを選び、皆様方から励ましのお言葉を頂いて、新年度の学習を始めました。まだ、学年が始まったばかりの感じがしている本日、速くも修了式を迎えることになりました)

4、年間学習について(各コースで、夫々講師の先生方のご指導の下、学習内容、学習方法など異なっていたとは思いますが、大学祭の展示作品、舞台発表などで、参観の皆さんから「素晴らしい!」とおほめの言葉を聞くと、少ない講座の時間に、如何に皆さんが真剣に学習されたのかが伺われます。

 又、大学院生の「自己啓発」「相互啓発」での学習成果は、プロ級と言われる方もあると聞きます。この様に成果を上げることが出来たのも、先ず講師の先生方の熱意と、それに応える皆さんの「健康第一の精進」と「前向きな意欲」の賜物だと思います)

 
5、「三原市老人大学」の存在意義(学生一同が安心して、健康で、前向きに、楽しく学習できる、「三原市老人大学」の存在意義は、大変大きく、有難いと感謝しています)

6、
事務局への感謝(その運営に当られる、事務局の先生方の、適切な企画、実施の献身的なご苦労なしでは、この成果は考えられません。本当に有難うございました)

7、
市当局へのお願い(今後の高齢化社会の在り方を考える時に、三原市老人大学の様な「施設・制度」を一層強力に推し進めて行くことは、非常に有効だと思います。今後とも市当局の、格別のご配慮をお願い致したいと思います)

8、
学生の決意(本日修了式を迎える私達も、健康で、学んだことの社会への還元など、今後とも、感謝の念を持って、さらなる精進に心がけます)

9、
結辞

 
 
 
  東北・関東大震災を悼む              中山 範之

    3月11日三陸沖を震源とするマグニチュード9・0という国内史上最大の巨大地震は、10メートルを超す津波を発生させ、青森・岩手・宮城・福島・茨城の太平洋沿岸を飲み込んだ。17日現在、死者・行方不明者1万5000人を数え、更に増えると想定されていて、痛ましい限りである。

  加えて東京電力福島第一原発は、津波によって1号〜4号機の炉心冷却装置が損傷して最悪の状態となり、超高濃度の放射能漏れを発生させ、住民の退避を余儀なくさせる状態となった。

  国際原子力事象評価尺度8段階の中でレベル6と評価する向きもある。(チェノブイリ事故7レベル、スリースマイル島事故5レベル)これからどのように落ち着くのか、今のところ分からないが、世界の注目の中で、知恵と力を借りながら一刻も早く終焉させてほしい。
 
  連日テレビ、新聞が報じる惨状は、かって目にした大阪空襲の焼野原や、娘の安否を尋ねて歩いた神戸・淡路大震災の神戸市内よりすさまじい。特に4階建ての屋上に乗用車が上がった映像は津波の恐ろしさを見せつけた。
 
  真冬の寒さが戻り、雪の降る中で孤立状態の人たちの救援や、避難生活の人たちに対して水、食糧、日用物資の補給が行き渡ることを願っている。人命救助や原発保守に昼夜を問わず活動されている海外からの派遣者・警察・消防・自衛隊の多くの人たち、ボランティアの方たちの活動に頭が下がる思いである。

 それにしても、三陸沿岸は過去幾度かの津波に襲われ、その経験から世界一とギネスブックに認定された防波堤を持っていたはずである。また原発の安全基準は、他に類のないほど厳格で、三重,四重の安全性が求められている。これらの安全神話が打ち砕かれ、自然の力の前には人智の及ばないことを思い知らされた。

  茅ヶ崎の長男からのメール情報では計画停電実施で17日まで自宅勤務になり、インターネット回線を使って仕事をしているとのこと、仙台、千葉、根岸の製油所の稼働が止まり、灯油、ガソリンが不足して神奈川県でもスタンドには、車が長い行列で並び、また牛乳、卵、トイレットペーパーなどが不足がちだと言う。

 今、まさに戦後最大の国難であると思う。経済活動が滞り、円高が進む現状、買占めは許されない。国民すべてが、今までの不自由のない生活を見直し、しばらく耐えながら復興に協力しなければならないと思う。
 
  しかし今、自分に出来たことは、ささやかながら郵便局を通して義援金を送り、しばらく忘れていた災害用リュックの中身の入れ替えだけであった。
 
 
 
   東京便り(NO.21)                    佐々木 朝雄

   
  ● 東北関東大震災(地震と津波)と福島第一原発事故による影響でる
 平成23年(2011年)3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とする大地震があり、国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、私の住んでいる世田谷区でも強い揺れを感じ、食卓の下に伏して止むのを待ちました。横揺れで、4,5分続いたように感じました。

   幸い大事には至らず二階の書棚の上から置物が2個落ちた程度でした。それからも余震は何度も続きました。そして、現在でも、福島第一原発事故による東京電力の計画停電の実施と鉄道の間引き運転、又、スーパーやコンビニでの品不足などの影響を受けています。
  
  特に米や乾電池などは全く売っていませんでしたが徐々に回復傾向になっています。こういう非常時なので、当然ながら、パソコン教室も3月中休講といたしました。

  
マリー・アントワネットの画家「ヴィジェ・ルブラン」展鑑賞
 東京・丸の内の三菱1号館美術館で3月1日から開催されている、フランス18世紀の美貌の女性画家、ヴィジェ・ルブラン1755-1842)にまつわる展覧会を鑑賞に出かけました。

 この展覧会は、フランス革命で断頭台の露と消えた王妃マリー=アントワネットの「お抱え画家」として活躍したヴィジェ・ルブランの作品23点をはじめ、ラビーユ・ギアール、ヴァレイエ・コステルなど女性芸術家たちの作品約80点が展示されていました。




入り口で記念写真
展覧会作品
スライドショウえ  ご案内 ここをクリック

  入場券を求めて、受付で音声ガイドのイヤホーンを借りて入場し、ナビゲーター大地真央さんの説明に耳を傾けながら、順路に従って展示作品を鑑賞して回りました。

 画家の家に生まれた、ヴィジェ・ルブランは、本格的な画家を志し、宮廷に出入りするようになり王妃と親しくなって、見事な王妃や王族・貴族たちの肖像と、自画像の数々は、カラー写真と間違えるような繊細な感受性豊かな作品に堪能したひと時でした。

                                                                                                                                                
 
    注2: カーソルの矢印が触れてになる画像はクリックすると拡大する。
 
 
  震災の子供の言動に心うたれる !                     宮畑 明文

  「今までどんなに恵まれ、幸せな生活をしていたかよくわかりました」
  

 災害後の避難所での4・5年生ぐらいの、女の子供がインタビューで言った言葉にすごく感心しました。今の境遇を聞かれて、愚痴も言わず泣き顔も見せずに答えていました。本当に実感がこもっていました。こんな時にすごいなあと感心してみていました。
 
  今回の地震災害では、なんと言っていいのか言葉もありません。願わくば、この大災害を機におかしくなっていた日本が逞しく、凛とした国に復活してほしい。 今の日本は何もかも恵まれて、生活に不自由ということを知らないで育ってきて、それでも不平、不満が多い世代の人たちが、こんな気持ちになってくれたら、これからの日本はきっとよくなるに違いないと、心強く感じました。

 また生命の危険にさらされながら、福島発電所で必死に働いている東電社員、自衛隊、消防隊員たちには、どうか安全で任務を遂行してほしいと祈る思いです。本当に命を懸けての行動に、必死の気持ちが伝わってくるような気がします。
 
  それに引き替え東電幹部を怒鳴りつけ、自分たちの情報収集能力の低さを棚にあげ、責任を東電に転嫁をする現政権、専門家を派遣してしっかりとした情報をいち早くとるべきだろうに!こんな時には激励をしてやるのがトップの心構えではないだろうか。
 
  本人は「全身全霊,命懸けで・・・」と言っていたが。それは現場で本当に命懸けで働いている者であって、見ているだけで、命を懸けていない者が軽々しく言うことではない。

  そしてまた、17日には自衛隊を敵視したような前官房長官を、副官房長官に任命した。そんな人から指令を受ける自衛隊員は、どんな気持ちだろう。隊員たちがこんなことで士気が落ちることはないだろうが・・・。任命翌日のネット上では、支持しているのは272件中わずかに10件である。
 
  この事故で今後の原子力発電所建設の動向が気にかかります。原油の高騰、輸送の不安など、資源のない日本は今後、原子力発電しかないのではないでしょうか。しかし、この地震災害を教訓に、日本の技術力を結集して技術を高め、安全性の高い原子力発電所建設の機運が出てくるだろうか。

 
  クロネコ宅急便の社員、配達員も600名が行方不明と聞いた!

  本日、配達に来たクロネコの配達員の話によれば、約600人の社員、配達員が行方不明になり大変だと言っていました。びっくりしました。たぶん配達中の地震で避難する余裕もなく、津波に巻き込まれたものと考えられます。1人でも多くの方が無事であってほしいと祈ることしかできません。
                                                                                                                     (3月17日記)
  
 
 
 
 
     三菱和田沖の梅が美しい
 今年は寒かったせいか、満開が例年よりも1週間ほと゛遅くなりました。3月8日に鶯の鳴き声を聞きましたが、まだ下手くそで「ホッキョ」「キョキョ」のレベルでした。

         2月15日三原にも積雪
  恵下谷の坂道は雪景色この日は気温も低く、昨日から雪が降り続き、道路も積雪、写真のように美しい雪景色でした。(朝8時半ごろ)

 
 
 
         阿蘇の遠望                            安棟 勝

  
  昨年の秋、九州旅行をした時の記録です。朝、好天の中、飯田高原「豊礼の湯」の宿を出て間もなく、九重高原の南西に広がるススキ野の向こうに阿蘇山が遠望できた。

 お釈迦さまが「頭を東 (写真では左)にして寝ておられる姿」そのままに見えて、広大な高原の眺めは素晴らしかった。

 高原を走る車中から眺める風景は、中国地方の山間部の眺めとは全くスケールが違うことを感じながら進んだ。特に気付いたのは、収穫の終わった「たんぼ」の風景でした。

 中国地方では見られなくなった、三角帽子のように束ねられた藁束が整然と並んだ美しい風景である。思わず車を止めて貰って、何枚もシャッターを切った。   
九州は広い!
 
 
 
  石工のユーモア                 大成 昌司

 三原市本郷町には、古墳・高山、新高山の山城跡・寺社・石造物などが歴史を学ぶには事欠かない。新高山城は戦国時代の山城として、守りをかためた日本三大山城の一つといわれ、全国でも珍しく沢山の遺構が保存されている。

 ほかに梨和城址・梨和氏の墓地、滝や安芸の嵐山と言われる自然、四月に開通する空港大橋などなど観光資源も豊富だ。古い寺社の中には隠れ切支丹とかかわりのある円光寺もある。
 
 今回は本郷駅を起点・終点として商店街をぶらりと歩きながら石工の名工が彫ったユーモアを下手な写真で紹介しようと思う。「百聞は一見に如かず」本郷を漫遊されてはいかが?


 


全国でも珍しい子連れ?
頭の上にもう一匹
 


足元にもいるよ
 


尾頭付き手水鉢
鯛?

 


「石工のユーモア」ではないが民家にある切支丹宝塔
 
 
   有 難 う!                                          安棟 勝

  3月上旬、機会あって「育てられて」と題して、法話を聞く機会があった。
法話だから有難いお話があるのは、当然と言えばそれ迄ですが、その中で特に心に残った言葉を紹介します。

  ▽人間、生まれた時は皆はだかである。赤子は自分の意思表示に何時でも泣く。親はそれを聞いて、親身になって育ててくれる。育つのではなく、育てられるのである。親の恩に「有難う」を言わない子が多すぎる!何故だろう?

  ▽「有難う」が言える人間に!
  皆さんは、何事にも「有難う」の感謝の念を持つことが出来ますか?福山の奥の田舎に仲睦まじい老夫婦がいた。2人は畑を耕して貧しいながらも、自給自足の暮らしをしていた。ところが、最近、おじいさんが他界して、おばあさんは一人暮らしになった。

  1人で畑を耕すようになって、最初は良かったが、おばあさんも歳をとり、最近は半分の畑も耕せなくなった。先日訪ねたら、{有難いことです。おじいさんが畑を残してくれたので、「まめ」でこれだけ耕すことが出来ました。わしゃー幸せです}と言うおばあさんの言葉を聞いて、思わず素晴らしい言葉を聞いた!と感動した。

     1人になった不運を嘆き、歳をとって働けなくなった、と自分の不幸を嘆き、愚痴を言い、不平不満を言うのが普通だが、「有難い、わしゃー幸せです」の言葉が自然に出る穏やかな心に、思わず幸せの意義を感じた。

  ▽「有難う」を云わない親を見て育つ
  子に「有難う」を言えと言っても無理な話。スーパーのレジでも必ず「有難うございました」と言う。いくら職業的に教育されている言葉だとは言へ思わずこちらも「有難う」と答えられる心を持ちたいものである。

  ▽お互い様!
 冬の寒い中で、草花は蕾を育てて春には花を咲かせる。何故か?虫が出て来て花粉を運んでくれる季節だから。その虫は蜜を貰い子孫を増やして行く。それを狙って、鳥が渡ってくる。鳥獣、植物、人間を含めて自然の恩恵をお互いに享受しながら生きている。

 自然の恵みに「有難う」の感謝の気持ち、まして人の好意に対してお互いに「有難うございます」の心を持ってこそ、幸せを感じることが出来るのでは?

               

     病気のデパート                  山本 次郎           

  人生も八十路にさしかかると、誰でも何らかの「病」を持っているものらしい。今日の超高齢化社会にあっては老人の死亡率の約50パーセントは「ガン」が原因だといわれている。

  私も人並みに「ガンの病巣」を持っていて、満身創痍の態で、腹部などは3度もメスをいれた痕がある。

  これでも命長らえたのは「運が良かった」とゆうべきであろうか。大病だけでも、片手に余る程である。
ジフテリア・椎間板ヘルニア・心筋梗塞・前立腺肥大・胃ガン・腹部大動脈瘤肥大・肺ガン等であり、生きているのが不思議なくらいである。
 
  そこで人生の終末期にあたり、これら「病」の発症・経過等を時系列で列挙してみよう。

         ●喉頭ジフテリア
 昭和20年3月、第二次大戦末期、中学校受験まぢかの或る寒い日、急に
高熱が出て、喉に白い斑点できた。村の保健婦さんに診てもらうと、「ジフテリアだ、ほっておくと呼吸困難になって死ぬかも・・・」

  血清があると簡単に治る」といわれ島(向島)に2人しかいない開業医に物資不足の時、無理やりお願いして、1人の医者が隣村から血清をもって往診してくれ、命拾いして受験できた。法定伝染病とは知らなかった。

        ●急性心筋梗塞
  昭和60年11月、当時未だ会社勤務中で、朝から何んだか気分が悪かった。
気晴らしに「たばこ」を連続的に吸っていたら、昼近くなって急に心臓に焼け火箸を突き刺すような激痛が走って倒れた。のたうち回った、しばらくして小康状態になったところで、病院にはこばれ、急性心筋梗塞と診断された。
 
  三原の三菱病院に転院したが、一時不整脈が頻発して重体に陥った。忘れもしないクリスマスイブの日に救急車で広島市民病院に転院をお願いした。そこで冠動脈の「バイパス手術」をうけた。

  3本の冠動脈とも閉塞状態であったので、脚の大腿部の静脈を取り出し移植手術をする予定であったが、そのうちの1本が出血ひどくて不可能だったので現在も心臓の筋肉が一部は壊死したままである。手術時間は約9時間だったと記憶している、しかしどうやら生きている。
 
 輸血3リットルうけた。当時としては珍しく、黄疸にならなかった。奇跡的だといわれた。現在だと「ステント挿入手術」で済むかも知れない。

        ●胃ガン
 集団検診で血便が発見され、精密検査の結果早期胃ガンと診断された。胃の70パーセントを切除した。今月で満6年、転移・再発もなく、無罪放免となった。

        ●肺ガン
 胃ガン手術後の経過観察中に、肺に多発性斑点が見つかり半年間の経過観察で10ミリ以上のものがあり、生体検査の結果肺ガンと診断され胸腔鏡手術で患部を除去した。

  この方法は胸に3個の穴をあけ、モニターを見ながらメスが使え、体の負担が少なく回復が早く、2週間で退院出来た。現在経過観察中である。
 
 
 
   パソコン談義                         広勢 一三

         パソコンをスピードアップ
  パソコンの「速い・/遅い」の理由はいくつかあるが、速さを決めるのは、次の4要素である。
  1.パソコンが「速い」/「遅い」理由はいくつかある
パソコンの速さを左右する最大の要因は、CPUの処理能力です。

  「Core 2 Duo」、「Core i7」のように名前によって基本的な処理能力が決まり、同じ名前のCPUでは「2.13GHz」、「2.90Ghz」のような「クロック周波数」と呼ばれる数値が大きいほど高速です。CPUは基本的に、パソコンを買い換えない限り新しいものにすることはできません。

  2.できるだけ大きなメモリを搭載していること
 CPUが処理能力をフルに発揮するには、充分なメモリの大きさ(容量)が必要です。快適に利用するにはWindows XPでは512MB〜1GB、Windows VistaとWindows 7では2GBが目安となりますが、各モデルで決められている上限まで増設が可能です。
  3.ハードディスクは充分な空き容量があること
 特に写真やビデオなど大きな容量のデータを扱うときには、ハードディスクへのひんぱんなアクセスが発生します。

 不要なファイルを削除するなどして、ハードディスクにはある程度の空き容量を常に確保しておきましょう(目安としては数GB〜10数GB以上)。ハードディスクの載せ替えや外付けハードディスクの増設といった方法があります。

  4.パソコンの環境:ハードディスクの中身やメモリの環境がクリーンであること
 パソコンをオフィスで働く人に例えると、CPUは「人」そのもの、メモリは「机」、ハードディスクは「本棚や引き出し」にあたります。私たちが長い間仕事をしていると、机に書類が積み重なったり、本棚のどこに何があるのかがわからなくなったりして、作業効率が落ちてしまうことがあります。

  パソコンの中でも、これと同様のことが起こります。高性能のパソコンでも遅くなってしまうことがあるのは、こうしたことが原因です。適切な整理=メンテナンスによって、クリーンな環境を保ちましょう。


                
使わないソフトやガジェットを閉じる
 
   1「動いているソフト」は最低限のものにしよう
 使い終わったソフトがいつまでも起動していることがないよう、こまめに閉じましょう。また、デスクトップに必要のないガジェットがあったら、こちらも閉じましょう。ガジェットもソフトの一種で、少しずつですが、パソコンの処理能力を使っています。

  ガジェットも、必要のないものは閉じます。ガジェットにマウスポインターを合わせると、右上に閉じるためのアイコン[×]が表示されます。

   2.ハードディスクの空き容量を増やす、不要なデータを取り除いて空き容量を増やそう
[スタート]-[すべてのプログラム]-[アクセサリ]-[システムツール]-[ディスク クリーンアップ]をクリックして起動。クリーンアップを実行するドライブ(通常は[C])を選択して[OK]をクリックします。

  しばらく待つと、ディスク内のクリーンアップできるデータが確認され「空き容量が○○MB増加します」というメッセージが表示されます。[OK]をクリックし「これらのファイルを完全に削除しますか?」と表示されたら[ファイルの削除]をクリックするとクリーンアップが完了します。

  3.ディスク デフラグツールで、分散されているデータを整える、ハードディスクを整理して、遅くなる原因「断片化」を防ごう

 引き出しや本棚の出し入れを繰り返しているとだんだんと雑然としてくるように、ハードディスクも何度もアクセスを繰り返すと、中のデータが雑然として、データの読み出しや書き込みの際のアクセス速度が落ちてしまいます。こうした状態を、データがばらばらに散らかっているという意味で「断片化」と呼びます。

 「ディスク デフラグツール」を利用すると、ハードディスクの中身を整理してこうした断片化を解消し、アクセス速度を高速な状態に戻すことができます。これを「最適化」と呼びます。こまめな最適化で、高速な状態を保ちましょう。

  4.デスクトップの不要なアイコンを片付ける
  デスクトップにあるアイコンは主に2種類あり、左下に矢印が表示されているアイコンは「ショートカット」と呼ばれる、ソフトを起動するためのアイコンです。
 
 スタートメニューなど別の方法で起動するため利用しないショートカットや、ほとんど使わないソフトのショートカットは、ごみ箱に移動して削除してしまいましょう。
ショートカットを削除しても、ソフト自体は削除されません。

 左下に矢印のないアイコンは、ファイルやフォルダーのアイコンです。どうしてもデスクトップに置いておきたいもの以外は、ドキュメントライブラリーなどに移動させてデスクトップからは片付けましょう。

 
 
 
    戦時中の思い出                  松浦 浩安

  
         阿片窟
 中国では阿片のことを「鴉片」と言い、阿片窟は阿片館と言っていた。
昭和19年12月ころ中国・南京城外の下関憲兵分隊にいたころ、毎日の勤務は便衣(中国服)を着て、地元の郵便局へ行っての郵便検閲なので、ある程度の自由行動ができた。

 分隊から郵便局へ行く途中に阿片館があるのは知っていたので、ある日郵便局での検閲を終えての帰り道、好奇心に駆られて阿片館へ立ち寄って中を覗いたことがある。
そこは地下室だったが、扉を開けた途端、なんとも形容のしがたい生臭い嫌な匂いが鼻をついた。

 薄暗い屋内を見渡すと、オンボロの4〜6台の板張りベッドの上へ、それぞれ痩せ細って骨と皮ばかりの中国人が横たわり、長いキセルの先へ詰め込んだ黒色の阿片を、枕元のランプの炎で焙りながら、吸っていたのである。扉を開けても見向きもしない、皆一様にトロンとした目でスパスパと吸っていた。

  恐らく皆阿片中毒者であろう、地下室ではあり、換気が不十分なので、各自が吐き出した煙や、ランプの炎で焙る煙や匂いが部屋の中で充満していたのが、入口の扉を開けたために、どっと出てきたので、生臭かったのである。
 阿片は中毒になるくらいだから、きっと良い匂いだろうと思ったらとんでもない、長く居ると頭が痛くなりそうなので、早々に出て行った。

         慰安婦
  昭和20年3月の初め、南京城外の下関憲兵分隊から対岸の浦口憲兵分隊へ転属になり、制服を着て浦口駅構内を歩いていた時である。駅構内の引き込み線へ、装甲列車が入ってきて、停車すると、各車両から兵隊がどやどやと降りてきた中に、3人ほどの女性が混じっていた。

  軍隊に入ってから、1年3カ月で、初めて見ることのできた日本人慰安婦さんたちだった。
当時は、従軍慰安婦とか、専属慰安婦などという言葉は聞いたことはなかったが、これが部隊専属の慰安婦さんなのであろう。1ヶ月後、浦口の町から西の方の浦鎮という町へ工作班が設置されたのに伴い、黄木軍曹と私の2人が派遣された。

  ここには日本軍管理の機関車修理工場、野戦病院、特務機関、一個大隊の部隊も駐屯しており、多くの日本兵がいたので、どこかに慰安所があるのだろうとは思っていた。工作班はここの特務機関内の敷地内に設置されていた。派遣されて間なしに、浦鎮の町中の状況を熟知するため、2人とも便衣を着て、あちこち見廻っていたときのことである。

  町はずれにある小高い山の裾にある洞窟のような箇所を、「アンペラ」(芦で編んだむしろ)で覆ったところがあった。黄木軍曹が不審に思い、私に「何があるのか行って見てこい!」と命令したので近寄って「アンペラ」をめくり、中を覗いて見てびっくり、洞穴の中には2人の女性が座っていたのである。私を見るなり、中国人だと思ったのであろう、両手で出ていけというしぐさをしたのですぐに離れた。

  これは一目見てすぐに分かった、2人とも韓国人慰安婦さんたちである。まさかこんなところに慰安所があるとは思いもよらなかった。

  当時、日本国内でも各所に遊郭があり遊女がいたので、戦地に慰安所があり慰安婦がいても、別に不思議とは思わなかったが、しかし誰しも好き好んで遊女や慰安婦になる女性はいないだろう、みなそれぞれ何かの事情があって、やむを得ずこの道へ入ったのだろうと思う。

 それから約1カ月後、工作班は任務の都合上、5qほど離れた町中へ移転したので、浦鎮へは二度と行くことはなかった。

 
 
 
          逆  襲                     播摩 照子

     
 
 突然の東北関東大震災に多くの犠牲者があり大参事となっている。言葉もない。  ただ祈るのみです。

   さて、優勝から遠く離れている広島東洋カープ今年の目標は逆襲である。開幕日も揺れている。カープ今年こそは、今年こそはと、期待を持って応援している。

   近年はBクラスに低迷しているが、昨年はビッグなタイトルを受章した選手が沢山いて感激した。

  早稲田大学からは福井優也選手など多くの選手が入団した。また交流戦では、カープ球場で日本ハム斎藤祐樹選手との試合が見られるとよいが…
 
   春の甲子園選抜高校野球には本郷総合技術高校が初出場して緊張したのか惜敗した。夏の大会にも出場出来るよう・・・。 野球ファンには待ち遠しいシーズン到来である。

 
 
 
    編 集 後 記

  今月号は東日本大震災と云う未曽有の大災害が発生したため、其の関連記事が多かった。現在も余震と原発の放射能の危険に晒されている。桜の季節と云うのに、花見酒に浮かれてはいられないようだ。
 
      4月号担当は山本・播摩でした
 
     5月号担当は廣勢さんです
         宜しくお願いします。                                                                                                                    (山本)