メールの輪
第136号
平成23年6月1日発行
三原市老人大学
メールの輪新聞 編集委員会
三原市老人大学・第1回教養講座
   
 

 三原市主催老人大学教養講座と言う異例な形で行われたこの日の会場は満員でした。

 講師の井出口ヤヨイ先生は行政書士・生きがい情報士・キャリアアドバイザー・交流分析士・インストラクターなど様々な資格を持つキャリアライフアドバイザーで、聴衆をひきつける話術に、会場は最初から笑いと盛り上がりで、「アッ」という間の1時間半でした。

  講演内容は、{私もあなたも大切な「宝物」、生かされてきた。生かされている。生かされていくことに感謝すると共に、出会い、ふれあい、認めあいを大切に、これからも元気でいきいきした日々を送るためのヒントやメッセージ}を話された。                                           老大のモットー「学んで輝き・伝えて輝く」は素晴らしい。相互作用で、参加・体験・創造へ・・・相互の学び合い(相互の経験・知識を発信)一緒に何かを・・知る~学ぶ~思う~探す~考える~決める~行動する~知る・・の循環である。

1、 過去~現在~未来  

・地域社会の崩壊・核家族化・情報の 氾濫・マニュアル化された生活・超高齢社会・国際化 ・生きてきた・生きている・生きていく?人は一人では生きられない。生かされて来た・・生かされている・・生かされていく・・

2、 みんなおなじ、でも、みんなちがう

 ここでは聴衆を参加させて、2人一組にさせ、相手との違いを挙げさせる。 真剣に取り組み会場は笑いで一杯。

3、 あい・を大切に

 出会い・ふれあい・・・と出る出る。 「一笑一若、一怒一老、~笑いは人生のオアシス」1日何回笑う?笑って若くなろう。  

相手を認識し理解し尊重する

4、地域資源は財産だ!

 自然・史跡・歴史文化・施設・人 「私は人財だ!」自分流・底力をアピールしよう 、 

5、いき・いき・いきよういき方 上手へ


 過去と他人は替えられないが未来と自分は替えられる

日野原先生

「からだによい呼吸法=よい生き方」 ・腹式呼吸・深呼吸=息を吐いて、吐いて、吐き切る。自然と空気が入って来る。

・生き方=

 自分が貰うことばかりを優先して、他人に対して出し惜しみをしていると、心は満たされないで、しなびてくる。心の健康のためには、自分の能力を他人のために使おう。     (文責安棟)  
 
 
 
 
               安  棟 勝
 6月11日で、、衝撃的な、未曽有の大被害をもたらした東日本大震災から3カ月になる。復興は関係者の懸命な努力で、着々と進んではいるが、あの大津波のニュース映像は、未だに目から離れない

復興は大事業であり、急がなければならない。その上、収束の目処が立たない原発の事故である。この対処を誤ると大変なことになる

国を挙げての復興事業は、国民みんなで負担しなければならない大事業である。先ず、協力しよう。施策が出てから、「遅い」「何故」「如何して」などと言う、施策に対して、責任論、評論、批判ばかりしている時ではない。世の識者(?)は「良いと思う施策」を先に提案する事は出来ないのだろうか?

福島原発の事故から、将来のエネルギー問題が持ち上がり、節電問題が浮上し、いざ、節電目標が出ると批判し、反対する。これで良いのだろうか?不平、不満を言う前に、何をなすべきかを 考え、何かを始めよう。犠牲を払うのではない、負担をするのである

老人大学も新年度に入り、学習も軌道に乗る時期、新しい仲間も加わり、それぞれの目標に対して積極的に楽しく活動したい

寒い冬から春、何か異常ながらも、桜の季節も「あっ」という間に終わり、爽快な新緑の候、と思えば梅雨末期を思わす大雨に見舞われる。それでも「春夏秋冬」日本の四季は素晴らしい。何事も、落ち込まず、前向きに元気に取組みたい。
 
 
 
 
 
震災に学ぶものは何か?      奥田 
 
「23・3・11・14・46」
 
 この数字は、国内初め全世界中の歴史に残る数字である。言うまでも無く、平成23年3月11日14時46分に、三陸沖を震源とする、未曾有の巨大地震(M9)・大津波「東日本大震災」が発生した時刻の数字である。

 一瞬にして街並が消えうせ、また瓦礫の街並みに変貌し、多数の尊い人命が犠牲になられた。災害に見舞われ、犠牲となられた方々に、哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。又、災害にあわれた方々に、お見舞を申し上げ、一日も早い復興を願い我が国の経済の回復を願うものです。

 地震発正より終日流れる、テレビの画面で津波に押し流された映像、3月12日の新聞には、全紙に掲載された光景・石油コンビナートの火災・何も無い街並・瓦礫の山、終戦当時厚木の海軍航空隊より除隊時、品川より山手線にて一周し目にした光景と全く同じで、遠くまで細い道路と、焼け野原であった、現在の東京の街なみから見ると到底想像できないのではと思う。

 今回の地震津波に対して、疑問に思うことは、此の様な大きい地震であれば、前もって、ある程度予知できたのではないか、若し少しでも早く予知できていれば、地震発正から津波到着まである程度時間があり、多数の犠牲者が出なかったのではなかろうか?

 津波に対して、街を取り囲む防波堤、 避難訓練の積み重ねなどを通じて絶対 大丈夫対大丈と云う安心感が災いを招いたのでは、と思われる。  

 我々の年代の者は、小学校の教科書で東北地方を襲った津波を村民に知らせるために庄屋さんが、刈取ったばかりの稲に火をつけ、高台に避難させ村人を救った、津波の怖さについて教わっていますが、現在では、そのような教えは無いのは何故だろうか。

福島の原子力発電所の事故

 福島第一原子力発電所の事故は、世界中の原子力発電所に対する、見直しのきっかけになった事と思う。

 想定外の津波による冷却装置の前例の無い破壊・水素爆発・放射性物質漏れの中で、其の対策・復旧に身命をとして従事されておられる皆さんに感謝し、一刻も早い終息を願うものである。

 事故発生と同時に、各国は重大なるメルトダウンの可能性の事故として、取り上げ、帰国勧告等を行った。国内では絶対にメルトダウンは起きてない、絶対に安全であるとの報道が多く流れており、各局とも専門の方達の解説を行っていました。疑問に思ったのは、燃料棒が入っている炉心に冷却水が入らない理由が分からないといわれる解説者の説明内容、各地で放射性物質の検知・避難勧告・水道水・農作物・海産物の汚染等、東電側の会見でも要領の得ない説明等から見ても何らかの破壊が有ったことを想定できる。

 この様な事故の場合、地域住民・農作物・酪農・水産・給水等にわたり放射物質による広範囲に被害の発生する設備に対して、想定外と言うことは適当であるのか、疑問である想定外を想定して、二重・三重の対策を検討しておくべきであると思う。先日のテレビで米国の原子発電所の紹介があったが、莫大な荒野に建設されており、緊急時は想定外を発電装置は二重・三重に想定し三台の発電装置を備えており、冷却水は大きな湖な様な、貯水池を設けておる設備を放映されていた。

福島第一原発の危険性を指摘

 3月27日新聞記事によると、2年前に審議会で、平安時代の869年に起きた貞観津波の痕跡を調査した研究者が、福島第一原発を大津波が襲う危険性を指摘したが、東電側は「十分な情報がない」として地震想定の引き上げに難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張、津波想定・地震想定も変更しなかった、此の時点で非常用電源などの設備を改修していれば、事故は防げた可能性があった。危険性を指摘した独立行政法人「産業技術研究所」は「原発の安全性は十分余裕を持つべきだ。不確定な部分は考慮しないと言うのはおかしい」と指摘して、東電側を非難している。

地震直後より炉心溶融の状態?

 最近になり、地震当時の状況の経過等を東電側より、少しずつ発表になり驚くことに地震発生後、津波の到着以前に原子炉に何らかの損傷があり、既にメルトダウン(全炉心溶融)しておつたであろうとのこと、初期の発表の曖昧さが暴露した、耐震性にも疑問もある、発電所内の映像もテレビで流れており、あらゆるものが破壊されており、此の様な状態が、何故安全である旨発表してきたのだろうか疑問に思う。

 専門家達から厳しい意見が出ており 通常の緊急停止の対応しか、知らず今回の様な地震・津波に対する緊急対応は全く想定していない、最初の工程表では格納容器を水で満たす「冠水」を目指したが格納容器から放射性物質で汚染された水が漏れ、計画は破綻した。

東電側も炉心溶融認め方針変更

 最近漸く炉心溶融との厳しい事態を認め、現実路線に仕切り直した形とした。専門家からは「ばかげた作業にこだわり、時間を無駄にした。初めから格納容器に損傷があるのはわかっていたのに、ばかげた作業にこだわり約一ケ月間を棒に振ってしまった」と批判している。従来の工程表は何もかもうまくいった時のもので、見込みが甘い、炉心溶融は常識のようなものである。と批判している。

中部電力浜岡原発停止要請

 3月6日政府は将来マグニチュードM8クラスと想定される東海地震の震源域の真ん中に位置し、以前から巨大地震と津波で影響を受ける、危険性が指摘されてきた、国民の安全と安心を考え、浜岡原発で重大な事故が発生した場合に、日本社会全体に及ぶ甚大な影響を考慮し、浜岡原発の停止を要請した事を明らかにした。

 此れに対して地元の市長から交付金がなくなる、市財政悪化となるため、反対する放映があつた、交付金と引き換えに福島原発の様な事故を起してもよいと言うのだろうか、疑問に思う、国民の大多数がこの度の決断に対して評価していると思う。「石橋も叩いて渡れ」である。 (写真はインターネットより)  

 
注記:{ニュースコメンタリ―(2011ー04―09)で、解説小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)によれば、福島原発で再臨界の疑いが濃厚に・・・ との意見も出ていると聞く。こうならないで収束して呉れることを祈りたいものです。 (編集子)  
 
 
 
 
 
「3・11津波」は来る        竹井 清夫  
 
 
 自然は無常 最悪のシナリオを作るだろう。忘れた頃にやってくる津波のおそろしさを、誰もが実感したことだろう。
 地震の巣に近い島国ニッポンは、今後もこの脅威から逃れることはできない。大地震は必ず起きる。大津波も必ず来る。それを、今回学んだばかりではないか。ここは大丈夫 などというところは、この日本にはない。ではどうするか。

 
 津波警報が出たら、揺れが続いたら、とにかく高い所に避難すること。標高10メートル以下の土地に住んでいる人は。3階建て以上の建物か10メートル以上の高台に逃げる事だ。津波は逃げるが勝ち、とにかく逃げろ。逃げずに屋内にいた人たちが犠牲になった。

 自然は人間の事情なんか考えてくれない、逃げなかったら死ぬ 逃げたら助かる。日頃から避難先を家族で決めておくことが大切ですね。地震や津波 生活の中に。瀬戸内海は大丈夫ではないことを「警告」。

 今後どんな災害が起きるか、自然には勝てない。負けない。  

 
今月号は、3月に思いもよらない「東日本大震災」と言う大災害に遭遇して、皆さんからの関連記事を特集してはと考えていました。記事が少なかったのは、生々しすぎる現実を前に、記事にするには気が重い現状だと反省しています。奥田さん・竹井さんには、貴重な原稿を有難うございました。  (編集子)
 
 
 
 
 
東京便り NO.23                 佐々木 朝雄
 

 世田谷区の住宅街にある西沢つつじ園で、色とりどりのツツジが見頃を迎えたと世田谷区の広報紙に載っていたので、出かけてみました。
 このつつじ園は、農業・西沢さんの苗木畑で、毎年春に見物客のため開放されており、苗木の販売もしておられます。また、隣接している「区立烏山つつじ緑地」は西沢さんが区に売却されたとのことで、合わせて約5千㎡に90種、約15000株が植えられています。「隠れた花の名所」で、色鮮やかなつつじが、訪れた私たちの目を楽しませてくれました。
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 ●大宮八幡宮に参拝

 晴天であったので足をのばして、東京の「へそのまち」と言われる杉並区大宮の大宮八幡宮に参拝しました。この神社は、縁結び・安産・子育ての信仰のある神社として知られており、石原慎太郎(都知事)・伸晃(自民党幹事長)の初宮参りと、貴乃花・若乃花の七五三参りなど、有名人の祈祷写真が提示されていました。

 参拝後隣接している、深い緑に囲まれて静かな雰囲気をかもしだしている和田堀公園散策し、都会の中の森林浴を楽しみました。  

 ゴールデンウィーク中に、家族と調布市の神代植物公園に出かけました。 当日は、緑の日のため都民に無料開放され、天気も良く、多くの観光客で賑わっていました(普通は入園料大人5百円)。

 この公園はもともと、東京の街路樹などを育てるための苗圃でしたが、戦後、神代緑地として公開されたあと、昭和36年に名称も神代植物園と改め、都内唯一の植物公園として開園されました。

 現在、約4800種類、10万本・株の樹木が植えられています。園内はバラ園、ツツジ園、ウメ園、ハギ園をはじめ、植物の種類ごとに30ブロックに分けてあり、景色を眺めながら植物の知識を得ることができるように名札がつけられています。昭和59年には大温室が完成し、珍しい熱帯の植物が集められ、冬も彩り鮮やかな花々を鑑賞できるようになっています。
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 この公園で目を引いたのが、大温室の広場に設置されている「カリヨン・ツリー」(野外演奏用の大型楽器・音律の異なる多数の鐘を並べた楽器.鍵盤や機械で打ち鳴らす)でした。時間がくると9個の鐘に3曲ずつ季節の曲を演奏しますので、丁度12時に出会いましたので、しばしの時間、メロディーに聴き入りました。その後、園内の雑木林を通って、深大寺門から門前町を通ると、有名な「深大寺のそば」を求めて、幾つもの蕎麦屋に、長い行列ができていました。東京の人は並ぶ事に慣れているのには感心します。その列を横目で見ながら水生植物園の「はなしょうぶ園」に着きましたが、5月下旬ごろから咲き始まるとあってつぼみ状態で、残念でした。  
 
 
 
パソコン講座200回到達      中山 範之  
 
地域ボランティア 
 
 昨年11月に地域のボランティアグループ「月曜会」が発足10周年を迎え、写真、イラスト180枚を入れた22ページの記念誌を発行して、会員ならびに関係各方面に配布した。  

 その中に1ページを割いて「パソコンサロン」の活動を紹介したが、この講座を担当して7年半を経て、4月に200回講座、正味400時間の講義記録に到達した。振り返り、自讃ながらよく続いたと思っている。これも受講者の熱意に支えられたものである。  

 平成15年11月ボランティアグループ会員の要望で、パソコン教室を開くことになり、「パソコンサロン」と名付けられた。当時、会員の中で老大パソコン大学院生であった私と、O氏、K氏の3名が交替で講師を務めることになり、毎週土曜日の午後、2時間の予定でパソコンの「パの字」から講座はスタートした。  

 不幸にもK氏が病死され、またO氏も病気でリタイアされて、講師は私一人になってしまった。毎週の講座は負担が大きいので、私の講義は2回/月にしてもらい、現在も続いている。7年半の間、2回の入院や、その他で休講はあったが、サロンは正月と盆、その他、会館が使えないとき以外は毎週開かれている。Kさんの代講指導や、新しく入られた方を皆さんが手助けしながらの自習である。したがって私は200回の出番であったが、最初からの方は、出席回数350回を超えるはずである。

 受講者は7年の間、入れ替わりながらも12~14名が、経験はまちまちながら、和気藹々の雰囲気で、年に数回は食事会も計画されている。

 講座400時間は、老大学習時間の13年余に相当するが、講義内容はカリキュラムは作らず、講師の思いつきで硬軟・難易入り交じり、受講者は戸惑いがあるかもしれないが、皆さん熱心に取り組んでもらっている。  悩みはプロジェクターがないので、講義は、昔ながらの白墨による黒板授業と、電話回線がないのでインターネットの講座が組めないことである。また皆さん持ち込みの機種もさまざま、現在XP=3台、Vista=6台、7(セブン)=2台である。  

 いつまで続けられるか分からないが、皆さんの熱意に押されながら、衰えた気力に鞭打ち、劣化した記憶力と闘っている。  
 
 
 
 
 
3年D組  仲良しクラス会      佐谷 弘子  
 
 年寄りばかりの旅なので、とにかく近くでのんびりと・・・

 4月末、私の車に4名、男子の車に4名、瀬戸田で1名合流して男子4名女子5名の珍道中・・・  

 耕三寺は何度も行ったことがあるのですが、此の度は、「未来心の丘」に 行ってきました。  

 空は青く、瀬戸内海も穏やかで最高の日和でした。丘の上までは、とてもしんどくて上がれないと思っておりましたら、左側の方に緩やかなスロープの道が付いていて、丘の上までエレベーターで上がれました。  

 周りいちめん大理石・・・素晴らしい彫刻の数々・・・空の青と、緑に映えて、まばゆいぐらいでした。  彫刻家、杭谷一東氏の制作で、この丘の白い大理石が、イタリアよりどのようにして運ばれて出来上がったのか、とても不思議な空間でした。

 大理石のカフェでピザとコーヒーで軽く昼食を済ませて、耕三寺へ降りて行き博物館など見学しました。

 平日のせいか、見物客も少なくて、案外ゆっくりできました。

 フェリーで岩城島に渡り、積善山へ、 積善山は桜で有名ですが、残念ながら、桜見物には少し遅かったです。 男子の一人が、岩城島の住民なので、其の日は民宿に一泊、魚料理の数々・・・ 食べきれないような御馳走でした。  

 夜は遅くまで3年D組にかえって、昔話に花がさきました。  

 2日目はいろいろと寄り道しながら 前回、一緒に旅行して、その後、2か月で逝った男子のお墓参りをするため向島に寄りました。

 誰も信じられなかった友の死・・・ ガンでした。命の儚さを痛感しました。  

 夕方、三原駅で、見送って無事帰宅。 美しい景色を眺め、美味しい御馳走を いただいて、幸せを、いっぱい感じながらの、本当に贅沢な旅でした。    感謝・・・  
 
 
 
 
 
私のボケ防止 趣味の園芸?     パソコン院1  大本 千代子  
 
 趣味とは言え昨年のコチョウランは可哀想でした。寒い冬を越すことができませんでした。

 シンビジュウム、オレンシジュウム、デントロビュウム、は簡単!簡単!と思っていても植え替えや温度管理に 手こずっています。


サムネイル画像です

 ランの花は大好きです。 オドントグロッサム、ジコベタラム、ファレノプシス、 ちょっと舌を咬みそうですね。これらを観賞することは最高です。  

 ここ1、2年はバラの花に心変わりしています。今、薄紫色のバラは満開です。忙しい!忙しい!と言ながら又福山のバラ祭りに行って黄色のバラを買いました。 花は食べられませんからね。 「桃太郎」も「フルーツとまと」も頑張って育てています。雨よけのカバーをしてやらないと良いものが出来ません。  アー忙しい、忙しい、 ぼけている暇は無いかも!  
 
 
 
 
 
散 歩          パソコン院1 木野本 茂登  
 
 小生数年前より朝食後近くの農道を散歩しています。  

 小生の住んでいる所は、前が海、後ろは山で農道は少し高いところに有り、歩き始めると楽しくもあり、しんどくもある。

 段々畑を眺めながら、四季おりおりの花々に心うたれ、海を見れば行き通う船、そして遠く島々を望んでは、また心和む。

 風の日も天気の良い日も・・雨の日・嵐の日は・・・・・


サムネイル画像です

 春は菜の花・桜、夏は灼熱の太陽と戦いながら、秋は澄み切った空、そして穏やかな海、遙か遠くに四国連山を望みながら、冬は寒い北風さんと寒い寒いと、お話をしながら。  

 そして少しでも長く元気で、少しでも長く老大で皆さんと一緒に勉強が出来るようにと、 日々頑張って歩いている今日この頃です。  
 
 
 
 
 
私の「ゴールデンウィーク」       山本 次郎  
 
 「毎日が日曜日」の我々高齢者でも「ゴールデンウィーク」と聞くと、妙に気分が浮足立ってくる。前から判っているのに、観光地の混雑・雑踏、道路での車の渋滞等、他に日を選べば良さそうなものなのに・・・。テレビ・新聞等のマスメディアに煽られて、人並みに雑踏に揉まれないと、遅れたような気になるから因果な性分だ。  

 そこで5月2日、ゴールデンウィークの谷間を目掛けて、新たに開通(4月20日)したばかりの「スカイアーチ」を通って棲真寺へドライブに出かけた。  コースは、まず広島空港へ出て、新たに完成した空港ロードをめざした。現在日本一のアーチ橋(高さ190m・アーチ支間380m)を渡った。  開通式当日は歩行者のみに開放され、老若男女が賑々しく渡り初めをしたそうだ。私どもが通った日は中国大陸からの黄砂が飛来して、周囲がぼんやりして、いちじは視野が5km位になったと聞いた。したがって棲真寺展望台からの眺めは良くなかった。

 「スカイアーチ」を渡り、トンネル を二つ越えると棲真寺に到着した。隙間の日であったためか、比較的参拝者は少なく閑散としていた。まだ、あまり有名でなく、世間に喧伝されていないせいかも知れない。  

棲真寺由来 (抜粋)  

 当寺は大和町平坂定ケ原地区の南方 約1・5kmの山中にあり臨済宗妙心寺派の末寺である。往古源頼朝の重臣・ 土肥次郎実平は源平合戦の戦功により、 中国5ケ国の総追捕史に任ぜられ、備後・有福の庄に拠りて勢力を広げ、後に実平の息・弥太郎遠平は沼田の庄・ 郡鶴城を拠として栄えた。この時将軍 頼朝公の子女が降嫁して、遠平の夫人 となり、一族は益々栄えた。しかし夫人は不幸にして早世し、土肥実平は承 久元年・3回忌にあたりその追善供養のためとして、この地に七堂伽藍を建立し、千手観音を安置して冥福を祈ることにした。これが現在の棲真寺である。  
 
 
 
 
 
歩いてきました        パソコン院1  森田 邦彦  
 
 県道広島中央フライトロードが4月20日に開通しましたが、これを記念して「ウォーキング大会が4月17日に開かれましたので歩いてきました。

 大会は、東日本大震災の情勢を鑑み開会の式典はなく、受付終了後、午前9時から随時出発となりました。

 コースは、出発してすぐの善入寺トンネル(2212m)に入り、トンネルを抜けると高さ約190mの「広島空港大橋」(広島スカイアーチ)の中間点までを往復する約7㎞でした。

 トンネル内には12問のクイズが、ゴール地点には地産販売店もあり、楽しく、快適な散歩を楽しむことができました  
 
   
 
 
 
 
 
元気な鷺島の話題           泉 紘子
 
 
 5月と云えば、からりと晴れた日が 思い浮かびますが、もう梅雨が訪れたのかと思うほどの雨の日が続いて、それもバケツをひっくり返した様な強い雨が降って驚きました。久しぶりの太陽の顔!朝から洗濯機が3回も回っています。

 今回は、有志の方たちの尽力により、新しく出来上がった 鷺島音頭を紹介したいと思います。

 作詞は島の長老、御畑正徳さんで、とても素晴らしい郷土愛に包まれた歌詞です、歌は鷺島出身の木原のぶ子さんで、軽やかな、太鼓の音に乗せて響きます。振り付けは私たちの、日舞の先生が考えて下さいました。

 チョチョンガチョンで手を叩き右に左に手招きし、老いも若きもみんな仲良く、いらっしゃい(桂三枝ではありません)次に両手をかざし天の恵みを、その手を下に地の恵みを,受けて皆仲良く元気に暮らしましょう。男女年齢を問わず誰でも、踊りの輪に入れるように、ラジオ体操みたいなところもあります。

 体を動かして足を運んでみんなと一緒に体力作り、音頭を口ずさむ事は頭の体操、今流行りの(脳トレ)にもつながります、  

 先日島で運動会が開かれました、初のお披露目 踊りの会の皆さんの指導の下に。 チョチョンガチョン、ハイ!招いて、招いて!カザシテカザシテと広い運動場で輪になって踊りました。これからこの鷺島にこの音頭は受け継がれる事でしょう。瀬戸内の明るい島にまた夢が増えました。島の桜も見事  です、今年は間に合わなかったのですが来年は満開の桜の下で踊ってみたいものです  
   
「港が見える丘公園」からの眺望!! 残念ながら、今年は間に合わなかったけれど、来年はこの桜の下で、チョチョンガチョンと鷺島音頭で皆様を「いらっしゃーい」とお招きしたいものです!(編集子)  
 
 
 
 
 
C型肝炎との戦い(1)     佐藤 紀久恵  
 
1、告知を受ける

 9月も終わろうとするある日 風邪も引いていないのに、頭痛と吐き気がした。おかしいなぁ~と思った。
 実は、20代後半から30代の10年間ほどは、毎年9月と5月に 腎盂腎炎にかかった。1年間で一番気候の良いときに布団の中にいるのは、まったくもって面白くなかった。3人男児の新学期が始まり一段落するゴールデンウィークは、たいてい布団の中。長~い夏休みが終わって二学期が始まり一段落する9月中旬ころ、またしても布団の中。『人間にとって気持ちの良い気候のときは、ウィルスも繁殖しやすいのですよ。貴女は、去年も同じ日に来ていますよ。』と医師に言われた。

 だが、今回の頭痛と吐き気は、何か別の良くないもののような気がして、日赤病院へ血液検査に行った。常日頃から気になるときには、なるべく早く病院に行き、検査を受ける癖が私にはある。

 なんと、この時『C型肝炎ウィルスが陽性です。検査数値が標準範囲内ですから、急がれなくてもいいですが、しっかりと治療されることをオススメします。』まさに寝耳に水!

 「えっ?この私が、ですか?輸血もしたことないのに! 先生!C型肝炎は移るんですよね! 3カ月先、息子の家に、お産の手伝いに行くのですが、何に気を付けたら良いでしょうか?2番目の孫ですから5歳の孫も同居しています。」『歯ブラシの共有を避けてください。他には何も気にすることはありませんよ。』

 さっそく、帰宅してインターネットで調べてみる。この便利な道具を使えるまでになっていて良かった!

 あるある! 原因・治療法・生活上の注意・ほうっておくとどうなるか!など・・知りたいことが書いてあった。医師の注意の他に、【自分がケガをしているとき、周囲の人がケガをしているときは、自分の血液と、その人の血液が触れ合わないようにする】とある。

 《そうか、それならお産の手伝いから帰ってから考えよう》と気持ちを落ち着けた。 ちなみに、家族も3人の息子たちも、C型肝炎のウィルス検査をしてもらった。全員陰性でひと安心。C型肝炎ウィルスは、家庭内感染も母子感染も、ほとんどしないとのこと。

2、東京にて  

 12月14日、息子から電話があった『女の子が生まれた。仕事が忙しいので、なるべく早く東京に来てほしい』と。私達にとっては 5人目の孫である。老大は初級コースの人に、事前にお願いしておいた「5人目の孫の出産の手伝いに行かせてください。人生最後の孫かも知れません。補習は3月に致します。」  
 東京の3男の家では、6歳になった男孫と遊び、食事を作り、乳児の世話を時々して、三原の家にはカレーやハンバーグを冷凍にして送った。三原には主人と長男がいた。年末もお正月も東京で過ごし、お正月料理も送った。  

 東京での約1カ月間は、慣れた主婦業と、孫の幼稚園の送迎などだが、息子が赤ちゃんの世話を上手にするのに驚いた。一番びっくりしたのは、私より上手に手早くオムツを変える!ウンチのオムツもなんのその! もちろん息子は器用なのだが、育パパ(イクメンと言うらしい)教室に脱帽!  

 6歳の孫と一緒に9時に寝て6時に起きた。食後はこの子と一緒に歯磨き・・ある日『おばあちゃん、磨いてあげよう!』と、孫が自分の歯ブラシをサッと私の口に近付けた! 「あっ!ダメなのよ!今おばあちゃんは病気だから・・・」医師の注意そのものずばり!あ~危なかった~。

3、肝臓専門医との出会い  

 お産手伝いの疲れも取れた2月、C型肝炎とどう付き合おうか?と思っていた頃、中学校の同級生夫婦と私達夫婦で会食した。何気なく「C型肝炎が見つかって・・・」と話すと 彼は肝臓専門医だと言う。彼が内科医であることは知っていたが、この時、初めて肝臓専門医なるものがあることを知った。  

 さっそく、2月末に血液検査にN病院の彼の元を訪れた。肝炎は見つかった順にA型・B型・C型と名付けられていて、C型の中でも、私には【2Aタイプ】というウィルスが14000居るとのこと。そして、【2Aタイプ】は比較的退治しやすいタイプであること。

4、インターフェロンと副作用  

 医師のすすめで【インターフェロン】を使って退治することにした。退治できる確率は30%から50%とのこと。ウィルスの数よりも【2A】というタイプで退治しやすいかどうかが決まるそうである。そして、65歳を限度にこの治療はオススメしないそうである。体力が要るので・・と言われた。  

 2週間に1回の治療日には、車で1時間かけて、9時半までに病院に行かなくてはならない。採血して検査し、白血球が3000を切ると、インターフェロンは出来ないそうである。  

 検査機関からの結果を1時間半くらい待って、インターフェロンと強力ミノファーゲンを注射される。  

 1時間かけて帰宅する途中で、身体がポッポとしてくる。『副作用は、何が出ても不思議ではない・・と言われています。熱・嘔吐・だるさ等々。抗がん剤の軽いようなものと思って下さい、髪の毛も抜けます。』とのこと。どうしてこんなことになったのか?などと思うより、【なったものは仕方ない!治したい!そして老大講師も続けたい!】と切に願った。(つづく)  
 
 
 
 
 
Windows高速化への道       廣勢  一三 
 
デフラグで最適化

 デフラグとは、ハードディスク上の断片化されたファイルを連続した状態へ書き直し、ハードディスクのアクセス速度を向上させることをいいます。

 デフラグはデフラグメンテーション(defragmentation)を短縮した呼び方です。 断片化とは、1つのファイルがHDD上の複数の場所に分散され保存されている状態のことをいい、アプリケーションのインストール、アンインストールといった書き込み、削除を繰り返すことにより生じます。

 断片化はフラグメントとも言います。

断片化(フラグメント)が起こる理由

 以下のように、データ量3のデータA,B、Cが保存されたハードディスクがあるとします。(- 空き領域)

 AAABBBCCC--- ここでBのデータ量が6に増えた場合は、空き領域はデータCの後ろしかないため

AAABBBCCCBBB

という状態で書き込まれます。このときBのファイルは断片された状態となります。  

 この状態から、データBを削除した場合は、

AAA---CCC--- という状態となります。この場合は空き領域が断片化されてしまいます。

 Bのファイルが断片化された状態では、Bを読み込む際にハードディスクのヘッドの動きが増えてしまうため読み込み速度が低下してしまいます。

 同様に空白部分が断片化された状態では、データを書き込む際にデータ量が多い場合にはCをまたぐため、書き込み速度が低下することになります。

 以上のように、ファイルの書き込み、削除を繰り返すとファイルの断片化、空白部分の断片化が進んでしまい、ハードディスクのパフォーマンスが低下してゆきます。この断片化を元に戻すのがデフラグとなります。

デフラグで最適化

 では実際にデフラグを行ない、ハードディスクを最適化します。ただその前に、ディスククリーンアップを行ない、余分なファイルを削除しておくことをお勧めします。ディスククリーンアップを行なうことにより、デフラグによる最適化がより効果的となります。

 デフラグは、Windows付属デフラグツールを使用する方法と、市販デフラグソフトを使用する方法があります。

Windows 付属デフラグツール

1.[スタート]-[すべてのプログラム]-[アクセサリ]-[システムツール]-[ディスク デフラグ]を起動します。 クラシックメニューの場合は、[スタート]-[プログラム]-[アクセサリ]-[システムツール]-[ディスク デフラグ]を起動します。

.最適化するドライブを選択します。以下ではCドライブを選択しています。

1. [最適化]ボタンを押すと、デフラグが開始されます。

2. デフラグが終了すると、以下の画面が表示されます。ハードディスクの状態により数時間かかる場合があります。

3. デフラグ終了後、ディスクデフラグツールの画面では、最適化前、最適化後のディスクの状態が確認できます。

4. 赤い箇所が、断片化されたファイルです。青い箇所が連続ファイルです。

5. デフラグで最適化したことにより、断片化が解消され連続したファイルへ整理されています。

6. 赤い部分の断片化が増えないよう、デフラグは月に一度程度の割合で定期的に行います。  
 
 
 
 
 
         細川 妙子 
 
 ワードで描く絵の楽しさは、図形の組み合わせ。どんな図形を組み合わせていくか? パズルの様でもあります。シンプルで楽しいお絵描きの時間が私は大好きです。

 今、いろいろなクレマチスが咲いています。 白や紅色など色も形も様々・・・ その中で「テッセン」と和名で呼んだ方が似合いそうなこの色が好きです。皆さんはいかがですか?

 私たちの周りには、色のきれいな花、 形もさまざまでかわいい花など画材はいたるところにあります。描く事で生活の中に、潤いを与えてくれます。  
   
 
 
 
 
 
 
5月の庭                 安棟  勝
 
 桜の季節も終わり、新緑が美しい季節になりました。車の窓から、甘い馥郁とした香り「アー、ミカンの花だ!」と思わず車を止めて、島の最高の季節を楽しんでいます。白い可愛いミカンの花を見て、庭の花々は?と目をやると、私達を忘れないで!と言わぬばかりに見事に咲いていました。ラベンダ・アメリカンポピー・マーガレットなどが美しさを競っています。   

 その上、サクランボの実が赤く熟して、例年通り、ジャム作り作業を忘れないでと訴えています。楽しく忙しい季節到来!島の生活を満喫する季節です。  
サムネイル画像になっています。拡大してご覧ください。   


カリフォルニアポピー


ランベンダー


サクランボ
 
 
 
  編集後記    
 
 予定していた、大震災関係の特集を組むことは出来ませんでしたが、大災害の中、日本人の復興への 心意気が感じられる大きな動きが見えてきました。底力を見せる時ではないでしょうか。  

 このような情勢の中、多数の原稿をお寄せいただき有難うございました。

 お陰様で編集作業も無事終えることができました。今月の編集は安棟が担当いたしました。

 来月は宮畑さんが担当します。皆様からの多数のご投稿をお待ちしています。  (安棟記)