メールの輪
第138号
平成23年8月1日発行
三原市老人大学
メールの輪新聞 編集委員会
 
あ の 日(8・6)           院1  菅  郁子  
 あの日 3歳の私は出産間近の母と兄の3人で、安芸高田市吉田町へ疎開していました。

 爆心地から2キロメートル離れた広島市白島町の家には、三原から手伝いに来ていた祖母と、日本製鋼所に勤めていた父が、休日でゆっくり過ごしていました。

 祖母は家の裏で洗濯、父はパンツ一枚で腹這いになり、新聞を読んでいた時に「 ピカッ☆ ドン★ 」

 一瞬何事が起きたのか分からなかったけど、裸の体には窓ガラスの破片が突き刺さっていました。手足が動いたので「ここにはおれない」と祖母の手を引いて牛田町方面へ逃げたそうです。

 被爆の苦しさや辛さは、体験者でないと解らないと思います。祖母は8月6日が近づくと、きまって頭痛がして2〜3日寝込んでいました。父は健康のためにと、腕の皮膚を切り取って何週 間か冷凍した事もありました。  

 2人とも原爆症に怯えながらも、80数歳まで生き延びてくれました。  

 3・11以来、目に見えない放射能で、多くの国民が不安を感じています。私は「心」が被爆したような気分です。原発は必要かもしれませんが、私には不要です。これ以上、放射能に苦しめられたくありませんから。  
 
 
 
 
金平糖           院5  塩見 昌子  
  これは後年、母から聞いた話です。 まだ幼い娘と妻を残し、父は応召されて行った。今の中国の方だった。

 残された2人は、父の実家に身を寄せていた。8月9日、長崎に原爆が落ちた時、市内よりかなり離れていたのにその閃光は見えたらしい。

 数日後、被爆した人々が傷ついた身でぞろぞろ身寄りを頼って訪れていた。  

 終戦から数か月たって父が復員してきた。私は男の人が珍しく、恐れて側に行かなかった。  

 父がリックの中から真新しい軍足を取り出し、掌に受けた。色とりどりの金平糖だった。

 おいでと手招きする父にそっと近づくと、口にいれてくれた。その美味しいこと、今でもよみがえる。

 甘さに飢えていた当時、それは貴重なお菓子で忘れられない味になっている。今でもなぜ軍足に入っていたのか解らない。  

 今年も終戦記念日が巡ってくる。
 
 
 
 
 
 
 
 暑中お見舞い申し上げます

例年より早く梅雨明けしたら、いきなり猛暑が続き、各地で熱中症が続発している。他人事でなく、お互い水分補給を怠りなく、この夏場を乗りきろう

被爆・終戦から66年が経過した。間もなく広島・長崎で、また三原でも原爆慰霊祭が執り行われる。今なお被爆症で苦しむ人も多く、また被爆認定や、黒い雨の範囲を巡って争われている。放射能の恐ろしさは周知と思ったが、稲わらのセシューム汚染問題は、被爆国として恥ずかしい

東日本大震災から5か月に入る。まだ多くの方が避難所生活を送られていて、この暑さの中で扇風機すら行き届かないという。瓦礫の山や害虫、汚泥処理問題等、現状の早期解決を望みたい

東京電力福島原発の惨状は、世界に大きなショックを与え、警告となり、改めて原発の可否が問いただされた。国内54基のうち、現在運転中のものはわずか18基に過ぎず、更に8月中に定期検査に入るものを含めると稼働はさらに低くなる。唐突なストレステスト(耐性検査)実施で再稼働の遅れが危ぶまれる。
我が国の電力不足はピンチを迎えている。節電はともかく、資源のない日本のエネルギー政策の根幹を揺るがす問題だけに、道筋もなく脱原発などの発言はおかしい。雇用、コストの面から経済界の危機感も高い。少なくとも、ものが作れなくなる日本であってはならない。       (なかやま)
 
 
 
 
 
転倒予防は目的ではない!
 転倒予防が活動の拘束になってはいけない!
  (文責 中山)

第2回教養講座

日時:平成23年7月11日

場所:リージョンプラザ文化ホール

演題:「高齢者の転倒」 〜「過度の用心」に、ご用心〜

講師:県立広島大学 保健福祉部  教授  近藤 敏先生  

 多くのデータに基づいて、スライドを使った分かりやすい説明がなされた。  

 特に、転倒予防のためにどうするかだけでなく、前向きな取り組み方を強調されたことは印象的だった。  

 配布されたチェックリストによって自分の状態を知り、転倒のリスクと対策をしっかり取らねばならない。  
 私の母親も部屋で転倒し、大腿骨頚部骨折で入院して苦労したのを見ただけに、身につまされる話であった。

講演内容

1、家庭内事故の調査  (2009年度 北九州消防局調査)

*救急搬送をした家庭内事故の70%が65歳以上の高齢者で、事故原因の85%が転倒・転落である。

*家庭内での発生場所は居間が43%、 廊下13%で半数を超える。

*つまずきの主な原因は段差・物のは み出し、すべりの主な原因はマット等・また浴室、床等の濡れである。

2、骨折り損を防ごう

*大腿骨頚部骨折の年間発生数

・1987年:  53,000人
・1997年:  92,000人
・2002年: 117,000人
・2025年: 170,000人  と推定される。(厚生労働省)

・・一例当り、最低200万円の費用が 必要!

*転倒後、骨折がなくとも要注意!
・転倒への恐怖感から不活動になる。
・用心することは、転倒を避けるために必要である。しかし、日常の作業  (活動)の減退を生じさせる過度の用心は禁物!
・転倒恐怖感は高齢者の50%が持って いる。

*転倒しやすい人の特徴(健脚度)
・歩く:10mの全力歩行が遅い(7秒 が目安)
・またぐ:最大1歩幅が小さい
・昇降:40pの踏み台昇降ができない

*高齢者は転倒しやすい
・身体がふらつきやすい
・揺れを許容する範囲が狭い
・瞬時の対応の際、軽率な行動に陥り やすい

3、身体機能のチェック

・手を前方に15p以上延ばせますか
・片足で立ったまま靴下をはけますか
・濡れたタオルや雑巾をきつく絞れま すか
・足を大きくふり出せますか
・つま先と踵を交互につけて真っ直ぐ 歩けますか
・しっかり前を向き背中を伸ばして歩 けますか
・頚だけ回して振り返ることができま すか
・1q位続けて歩けますか

4、転倒予防の方法

・現在の自分の体の状態を知る(前項 の機能チェック、10m歩行7秒)
・体操をする。(筋肉を柔らかくする、 強くする)
・散歩をする、できれば速く歩く、骨 を丈夫に!(踵からつく、背筋を伸 ばす、視線を真っ直ぐ)
・足に合った履物を正しく履く
・家の中を整理する(電気コード、新 聞紙、座布団、カーペットのめくれ、 マットの固定、照明など)
・杖や椅子、台、壁、手すりなどを活 用する
・過度に怖がらない(転倒の原因を分 析する、気軽に援助を求める)
・骨そしょう症を予防する
・水分をしっかり補給する

5、体操で身体全体をほぐし、筋肉を 強くしよう(伸張と貯筋)

*腕の押上げと横曲げ
*片足体重かけ *身体のひねり
*大腿の後ろの筋力強化
*頚の健とソケイ部の筋力強化
*下肢後ろの筋力強化
*大腿の前の筋力強化 *腹筋運動 *背筋運動
*四つん這いで片足あげ

6、転倒防止・骨折防止に対する散歩 の有効性

*背中がよく伸び、姿勢が安定
*歩く速さが速く、下肢筋力が強く、 膝の関節が柔らかい(復元力が良い)
*骨萎縮が少ない

7、高齢者の工夫している転倒予防

*手段を変更する
*足元を見ながら歩く
*環境を安全にする
*介助や監視を求める
*あわてず時間をかける
*運動をする、歩く
*危険なことをしない
*出かけない、動かない・・?

8、転倒予防は目的ではない!(結論)

*転倒は人の身体の状態(内的要因)と環境(外的要因)の相互作用である。
*転倒を過剰に恐れてはいけない。過 ぎたるは及ばざるがごとし。
*転倒予防が活動の拘束になってはい けない。  
 
 
 
 
 
島のぱん屋さん   繁盛記          安棟  勝
 
 昨年の9月号で、紹介した「島のぱん屋さん」が、今年5月27日で早くも開店1周年になりました。島民の大きな期待の中で、思い切って、スタートされた新しいお店でした。

 人口の少ない島での開店です。需要の見込みで、不安があったと思いますが、研究熱心なご夫婦のアイデアから生まれる色々なぱんが、島の人たちに受け、穏やかな人柄と「焼きたてぱん」の美味しさが人気を呼び、今では島には無くてはならないお店になりました。

 食ぱんは勿論、イギリスぱん、フランスぱんの他、菓子ぱん、総菜ぱん、ピザぱん・・・・と合わせると40 種類以上の替わりぱんが朝の8時頃から次々に棚に並んでゆきます。よくぞご夫婦2人だけで、これだけの種類を考え、作って行けるものだと感心しています。

 この2月には「大平山に雪が降る」と云う名前のぱんが、並んでいました。これは、珍しく、佐木島に雪が降り、島の最高峰「大平山」(267・5m)も白く化粧をした時の風景が製品になったのです。その他色々と、アイデア商品が並びます。

 特に、珍しいのは「ひじきぱん」です。島の産物「ひじき」を混ぜ込んだ、小型の食ぱんで、ほんのりとした塩味と、「ひじき」の香りは一度食べたら、くせになる味です。特に島外へのお土産として、人気があります。

 「島のぱん屋さん」は、島の主婦方の人気も高く、車で買いに来る方達の間で、会話が弾み、海側のテラスは、コーヒーを飲みながら買ったぱんを頂くことのできるオープンカフエになっています。趣味で作った島の人々の、手作り産品、手芸作品も店頭で、委託販売されていて、中々面白い作品が並んでいます。機会があったら是非見て下さい。

 佐木島に、なくてはならない存在になっている「島のぱん屋さん」です。オープニングを紹介した筆者としては、地域に密着して活動して居られる様子を拝見して、思わず「繁盛記」を紹介したくなり、筆を取りました。
 
 
 
 
 
快挙!なでしこ優勝
  
痛快もう一つの側面         宮畑 明文  
 
 どのゴール場面も素晴らしかった。Pk戦で海堀選手が倒れながらも、足で止めたあのシーンは目に焼き付いている。これも全選手の思いが、あの一瞬の技につながったのだろうと思います。優勝、本当におめでとう。  

 このなでしこの優勝に、さっそくあの蓮舫議員が祝いの言葉を、自身の簡易ブログ・ツイッターで書き込みをしたところ、厳しい意見が殺到し、収拾がつかなくなっているという。  

 「スポーツ振興金をゴッソリ(事業)仕分けして『ジャパンおめでとう』とは死んでも言ってほしくありません」「えっ?蓮舫さん1番は駄目なんでしょ?どうして喜ぶの」「選手はスーパーでレジ打ちしながら頑張っていた。スポーツ振興費を仕分けした枝野(幸男官房長官)や蓮舫はボーナスをなでしこジャパンに寄贈したら」など   

 このブログを見て同感だと思った人は少なくないだろう。痛快!痛快!

 仕分けの女王」と呼ばれ、スーパーコンピューター開発に関しては「世界一じゃないといけないのか。2位じゃダメなのか」とせまり、経費削減を図り、ノーベル受賞学者からも顰蹙を買った。1位を目指さなければ、2位はおろか3位も4位にもなれないだろう。 日本が二流国でいいと思ったら、もう三流以下となってしまう。  
 
 
 
 
 
特集 私の思い出の写真 NO.1     
   昭和2年10月アメリカから帰国。廣島への帰途、奈良に寄った時の写真。日系二世の私に、日本の教育を受けさせるため、父母が帰国を決意した由。  小学校1年生2学期途中からの編入、日本語で追い付くのに苦労した思い出の写真。   
           安棟  勝
   
私の青年時代は、太平洋戦争まっ只中で、
学校には配属軍人が教官として派遣され、
毎週軍事教練が教科としてありました。
当時は「国の為」と励んだものでした。
親友、H君と撮った写真です

        佐々木 朝雄
 
老人大学パソコンコースの仲間とホームページ作成に挑戦して、
平成16年12月16日読売新聞・17日中国新聞紹介され、一方、
三原TVで放映されました。現在まで、毎月更新されていることに
感謝しています。 
 
 
 
 
 
私の思い出の写真  NO.2
 
 
 平成11年9月27日、サンシープラザでパソコンの合同研修会があり、 その時の集合写真です。
豊原先生はじめ、皆さんまだ若く溌剌としています。  
当日は安棟さん・佐々木さん・広勢さんがそれぞれ研究発表されたと記録にありました。
                     山本 次郎 
 
 
 
 
 
 
私の思い出の写真  NO.3
 

 約1年9カ月の軍隊生活中、10カ月を過ごした憲兵時代の出来事については、不思議と今でもよく覚えています。  

 この写真は昭和19年11月ころ南京城内で写したもので、軍隊時代の写真はこれ1枚だけです。  
               松浦 浩安
 
 

中山 範之


昭和17年(1942年)3月、父が比島(フィリッピン)へ出征する前に、京都の自宅前で撮った写真である。
 
 私が小学校(国民学校)3年生になる前だと思う。

 幸い、父は2年後陸軍兵器本部へ 転属となり、東京で終戦を迎えた。  

 戦後、それぞれの結婚式を含め、多くの写真があるが、なぜか両親兄妹揃って撮った写真が、不思議になくてこの1枚だけである。  
 
 
 
私の思い出の写真   NO.4
 
パンパに辰の落とし子?        宮畑 明文  
 
サムネイル画像になっています。 
 馬の子供によく似たミイラに見える。辰の落とし子によく似ている。いったいこれはなんだろう?どう見ても本物のミイラに見える。  

  いまからもう40数年も前になる、昭和42年〜44年の約3年間、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから約80Kmの町に肥料プラント建設のため滞在したときの写真である。建設の合間に旅行をしたとき、バスの車窓から、あっ!と思い瞬間的にシャッターを切ったものである。旅行から帰って写真 をみて、「いったいこれはなんだろう?馬の子供?にしては小さすぎるし、犬でもなさそうだし?」一緒に旅行をした仲間の誰も答えが出ませんでした。 見渡す限り草原でガウチョ(カーボーイ)達の姿も見えない。しかし有針鉄線で柵がしてあるので、持ち主がはっきりしているには違いない。こんな風にミイラになるのは、天気がよく続き空気が乾燥しているのだろう。ガウチョたちがやったに違いないと思いましたが、何のためにやったのかは知る由もありませんでした。  

 もう1枚の写真は海抜2200mのパンパ(大草原)の記念碑である。 こんな高地に大草原があることに驚きました。しかしその時は人も牛や羊の姿は全く見られませんでした。  今この写真を見て、なんでこんなところに行くのに、背広にネクタイ姿なのか、今思えばおかしいですが、思うに滞在半年ぐらいで、様子が分からずにこんな格好になったものと思われます。ただ40数年前の自分はまだまだ若々しく見えます  
 
 
 
 
 
 
東京便り NO.25          佐々木 朝雄 
 
 東京都日野市にある、関東を代表する古刹(こさつ)(古い寺)高幡不動尊金剛寺の「第28回あじさいまつり」に行ってきました。  

 家を9時30分出発して、バスと電車を乗り継いで11時前、京王線高幡不動駅に着きました。 南口を出るとすぐ右手の赤い参道門くぐり、左右に並ぶお土産店を眺めながら、山門前に来たところで「開運そば」の看板が目にとまり、入ることにしました。  

 この店の名物「わんこ:縁起そば」を食べました。 店を出ると川崎街道に面している高幡不動尊金剛寺正面入り口が見えたので、右手の仁王門をくぐって境内に入りました。香炉の煙と香りが漂い、読経の声が聞こえてきました。  

 先ず、不動堂に参拝し、弁天池と五重塔の間の入口を入り、四季の道から山内八十八ヶ所巡拝路を巡りました。   
  山の斜面に色とりどりの紫陽花が咲き、鞠のような可愛らしい花の群が小路を華やかに彩っていました。この裏山には紫陽花、山紫陽花、がく紫陽花など、自生種や全国から集められた品種を含め約7500百株もの紫陽花が咲いています。
クリックしてスライドショーをご覧ください
中には珍しい品種もあり、立ち止まって写真に収めました。また、山内八十八ヶ所巡拝路には弘法大師の石像が祀られており、紫陽花を愛でながら巡礼することができました。 この日も梅雨の晴れ間に見頃を迎えた紫陽花の花を観賞しようと、沢山の人々が訪れていました。  

 華やかに境内を彩る風景は見事で、歴史と風光明媚な景色に包まれた金剛寺を中心に、紫陽花の花の巡拝路コースを散策して堪能し、高幡不動尊金剛寺をあとにしました。   

高幡(たかはた)不動(ふどう)尊(そん)金剛寺(こんごうじ)
 
 
真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は
古来関東三不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている。
今を去る千百年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、
清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて
山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置したのに始まる。
新選組ゆかりの地・
土方歳三の菩提寺。
 
 
 
 
 
 
石の上にも3年       写真コース  葛西 脩  
 私は70才から何が出来るか、生き甲斐を見出そうと思い、今迄の経験を生かしたものか、全くやったことのないものか、考えていました。  

 ある日、先輩の家に話に行った時のことでした。部屋に沢山の写真が飾ってありました。老大の写真コースに行っているとの事を聞き、大変楽しい話でした。  

 よしこれをやってみよう。そうは言っても、全く経験のない、シャッターを押したことのない無知なことに挑戦することは不安でありました。  平成21年に写真コースに入りました。3年目になります。  

 山根一宏講師の年間指導計画の中で、基礎、構成、露出、シャッター速度、光線、明暗を皆さんの写真を見ながら教わっています。  

 実習においては、春はさくら草花、夏は山海花火、秋はもみじ、冬は風景、四季おりおりに皆さんと撮影に出かけ、仲間から親切にカメラを持って指導をしていただいたり、歴史ある町並みなど散策、新しい物、古い物、知らなかった事をたくさん発見してまいりました。  

 デジタル化が進み、写真の楽しみ方も増えたのではないか、「うまく」撮るというだけでなく、撮った写真の楽しみ方が増えて、より楽しくなりました。  

 最近、家内も興味を持ち、一緒にカメラを肩に出かけるようになり、2人で批評しながら楽しく過ごしています。  

 これからも自分で楽しみ、施設・病院等で皆さんに見ていただける作品を撮りたいものです。  
 
 
 
 
 
尾道〜松江線(その4)    中山 範之  

 昨年11月27日中国横断道尾道〜松江線の尾道ジャンクション(JC)から世羅インターチェンジ(IC)間19・2キロが部分開通した。

 先の5月連休には「世羅チューリップ園」や「せら夢公園」を目指した車が多かったようだが、新直轄工事区間(三刀屋木次IC〜尾道JC111キロ)の17%強の部分開通だけに、その効果は望むべくもない。世羅ICを出たところに案内板がないとの苦情を聞く。

 私がこの尾道〜松江線を最初に投稿したのは、8年半前の35号(H15年1月号)「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く!」だった。きっかけは、亡くなった母の実家(世羅町川尻)が世羅ICにかかり、父祖伝来の土地を立ち退きで離れて移転したが、高速道路の建設抑制で雲行きが怪しくなった時である。この話が出た時からこの道路が本当に必要なのかと、バラ色の計画に疑問を抱いていた。  

 次は52号(H16年6月号)「ただいま、開店休業中!」で、杞憂した通り不採算路線のレッテルを張られ、道路公団から外され、新直轄工事になり、費用対効果・採算性から点数化で順位を決めることになり、一時、工事が中断した時でした。  

 その次は96号(H20年2月号)「尾道〜松江線その後」で3区間に分けた工事が年度予算の中で進み始め、最後の未決定区間であった口和IC〜吉田掛合IC間の施工命令が出て、ようやく全線事業着手が決まった時期です。  母の実家が移転して9年余、従兄弟は世羅ICの完成を見ず、移転の心労もあってか7年前に亡くなった。

 私は先日、毎日講習の実施を聞いて、高齢者講習を世羅教習所で受けた際、帰りに初めて尾道まで走ってみた。2車線70キロ制限の対面路線ながら、前後に車は全くなく貸切り状態で、新しい道を快適なドライブがあっという間に終わった。料金は山陽道の尾道JC〜尾道IC間200円だけで、尾道〜松江線は無料である。しかし100メートル当たり約3億円の事業費を思うと胃が痛くなる思いである。

 国や県の財政事情で曲折があるかも知れないが、三次〜三刀屋木次間(61キロ)が平成24年度供用予定で、最後になる世羅IC〜吉舎ICが平成26年度に供用予定という。フルーツロードやフライトロードに結んで広島空港へというバラ色の夢はいつのことやら。 せめて4年後に希望を持ち、松江の堀めぐりを目指して元気を出してみようか・・・。  
     
 
 
 
 
 
 
使い続けると ウイルスの危険?    大成 昌司
 
 パ ソコンが10年で実質使用できなくなるなんて思いもよらなかった。日経PC21の記事を読んで驚くやら、企業の利益優先のやりかたに腹がたつやらなんともやるせない気持ちになった。何故こんなことに?答えは明快、長く使い続けられると売れないからに他ならないと思う。然しパソコンに精通されている方は「気にしなくていい。最近のウイルス対策ソフトがしっかりしているから、急いで買い換える必要はない。」と言い切る。そう言えば私の知人に98やMeを未だに使用している方がおられる。次の記事を読むと不安になるが、セキュリティソフトが対応できるものであれば慌てて買い換える必要はなさそうだ。  

日経PC218月号の記事から

 オフィスXPはマイクロソフトの「延長サービス」が7月12日に終了した。期限切れとなったPCは実質使用できなくなる。それでは何故故障もしていないのに使用できないのか。

 マイクロソフトのサービスは2段階になっている。まず発売されてから最初の5年間が「メインストリームサポート」の期間。メールや電話による無料サポートや、新機能追加の要望を受け付けるなどのサービスがある。

 更にソフトの脆弱性(セキュリティ・ホール)を修復するための「セキュリティ更新プログラム」が無償提供される。

 次の5年間は、「延長サポート」の期間となり、提供されるサービスが減る。具体的には、メールや電話による有償サポートと、無償のセキュリティ更新プログラムだけになる。

 延長サポートも切れると、セキュリティの更新が止まり、脆弱性を修復できなくなる。すると、新たに見つかる脆弱性が放置され、何百種類ものウイルスが登場する。もしセキュリティソフトの対応が間に合わないと、パソコンがウイルスに感染しやすくなる。例えば、メールで送られてきたワードの文書を開いただけでウイルスに感染し、自分のパソコンを遠隔操作されてしまう可能性があると言う。  
 
 
 
 
 
ハテナの実                 院6  倉田 早苗  
 
 今年も大きなオレンジの実がなった。しかし今年は何処か違う。まだ7月の初めなのにあんなに大きく赤くなるわけがない。思えば2年前、車での通り道。ふと目が・・・あ!

 なんとオレンジ色に熟して4〜5個青葉の棚からぶら下がっている。その場を通るとき、いつも見上げるようになった右斜め3階の屋上。「何かねえ」「可愛いよ」「あ!へっとる」そして、いつしか青葉も枯れ全部なくなった。

 昨年も同じ棚に色づいた実がぶら下がった。「なんじゃろう」母は「レイシーじゃないんかね」「あれはレイシーじゃない、あれは違う」「おいしそうじゃが」車窓からのわずかな眺め。そこを通る度に見上げ、車内の話題に なる。2年目も暑い夏が終わる頃、実はなくなり棚だけになった。

 今年はまだ7月に入ったばかりなのに赤くなるのが少し早い。進行方向右上なので車でゆっくりと通っても、すぐに建物にさえぎられ見えなくなり、何かよくわからないが美味しそうに見える。

 夕方ダイエットの為、少し歩いている。家の周りばかり歩いていたが、ふとあの実が気になり近所のMさんを誘って観察に行く。しかし辺りは薄暗くあの可愛い色もみんな黒く見えるだけ。残念。母に言うと「家の人に聞いたら早いじゃん」ごもっとも。次の日少し明るい時間から家の人に聞いてみようと一人で近くまで行き、上を見上げると、なんと、オレンジのネットで何かの実を覆っている。「ええ!なんだ」ひょうたんか、なにか丸いものが見える。

 母に話しMさんにも・・・大笑い。遠くから見るとオレンジのネットも熟した実に見えるとは、それから3階の棚が気にならなくなった。しかし三歳夏、楽しく目に留まったハテナの実。寝てなくても勝手に夢はみれるミでした。  
 
 
 
 
 
事務局便り 
・第3回 教養講座

平成23年8月29日(月)13時30分 リージョンプラザ文化ホール

元広島国際大学助教授 田中久江先生

演題:「笑いと健康」

・盆休み(休講):8月13日(土)〜16日(火)・17日(水)  
 
 
 
 
   編集後記  

 暗い話題の多い中で、なでしこジャパンの世界一、素晴らしい粘りでした。  

 大ファンであった大関魁皇の引退、淋しくなりました。長年ご苦労様。

 暑さの中、原稿をお寄せいただきました皆様にお礼申し上げます。

 次月号は山本さん・播摩さんが編集を担当されます。たくさんの原稿をお待ちします。       
                   中山 記