メールの輪
第140号
平成23年10月1日発行
三原市老人大学
メールの輪新聞 編集委員会
第4回教養講座
 
日時 : 平成23年9月26日  
場所 : 三原市リージョンプラザ  
演題 : 「有酸素運動で元気に」
講師 : 県立廣島大学保健福祉学部 教授  大塚 彰先生     
    
     
 
 大塚先生は特に理学療法の権威で、介護補助用具などの開発にも活躍しておられます。さぎ島での砂浜オウ―キングの研究などウオーキングと健康に関する著者でもあります。

講演要旨

☆ウオーキング
・正常歩行=杖は右?左?良い足の方にに持つ。

・1日1万歩=根拠は健康日本21        

1日要消費カロリー 300キロカロリー

・砂浜歩行の効果=効果が大きい事が判明

(別表) 特に、転倒予防効果、バランス訓練効果などが期待される。

 さぎ島に限らず、砂浜での歩行を推奨された。

☆ 運 動 ・協調整運動・巧緻性運動

グー・パー、グー・チョキ、パー/チョキ等左右の手で違う指の運動

向き合って相手の動作を真似る。 (何れも脳の運動にもなる)  

・姿勢を維持する八つの体操

運動とストレッチの効果について スライドで紹介された       (安棟記)  
 

 
 
 お願い!

 「本人の高齢化(体調不良)・家庭の事情(要介護)など」で、「メールの輪新聞」の編集委員が少なくなり、編集続行に赤信号が点灯しています。

 後継の編集委員或いは補助をして頂ける方を募集いたします。多い程歓迎!是非刊行続行のために、有志のお力添えをお願い致します。    
 

                     編集担当 安棟 勝
 
 
 
 
 
 
 涼秋を迎え、日本の四季を謳歌する季節ですが、今年は、東日本大震災とこれに起因する原発事故収束の目途もたたないまま、紀州の大水害発生です。これに伴う「土砂ダム」の決壊対策も目途の立たない状況での季節入りです。1日も速い収束・復旧・復興のために、国の総力を結集しなければなりません

「なでしこジャパン」の快挙は、この様な時に大きな明るい話題を提供してくれました。続いて夏祭り・秋祭り・大相撲・プロ野球と季節の話題は多く、慌ただしい中で早くも今年は残り3分の1になりました

スポーツ界では、来年のロンドンオリンピック目指して、出場権獲得に、選手は全力で挑戦しています。私達も、公私共に納得のゆく年末を迎えるべく、諸事前向きに取り組みたいものです。

大学祭が近くなりました。皆さん講座ごとに、作品作り、発表準備に懸命に努力して居られることと思います。今年も素晴らしい作品、発表を見せて頂けるものと期待しています

佐木島では、島挙げての大イベント、第22回「さぎしまトライアスロン大会」が成功裏に終わり、今は島の名産ミカンの収穫とワケギの植付けの季節です。高齢化・過疎化の島の困難を克服しながら、懸命に生産活動が行われています

全国でも想定外の天災対応で、「嬉しい効果」と言う稔りのニュースを聞かれることを期待しています。           (文責 安棟)  
 
 
 
 
 
東京便り NO.27             佐々木 朝雄 
 
桜新町の「ねぶた祭り」見学

9月10夕方、散歩がてら我が家から約3qの桜新町に、今年の「ねぶた祭り」を見に出かけました。
 
 
 
 
 この日は、天候にも恵まれ、夕方は秋の気配を感じる涼しい風も吹いていて浴衣姿の多くの見物客で賑わっていました。 この町は、東京便りでもお伝えした事がありますが、駅前(東急田園都市線桜新町駅)に商店を始め、ファーストフード店やスーパーマーケットが軒を連ねていて、住宅地が四方に広がっている町です。

●「サザエさんの町桜新町」

 サザエさんの作者は長谷川町子さんです。日本初の女性プロ漫画家として知られ、代表作に『サザエさん』、『いじわるばあさん』、『エプロンおばさん』などがあります。元々福岡出身の方ですが、お父さんの死去に伴い昭和9年に東京に転居されましたが、太平洋戦争中は、郷里の福岡市に疎開、西日本新聞社に勤務、終戦翌日に退職されて執筆活動に専念されました。

  昭和21年の暮れに東京に戻り、平成4年5月27日心不全のため72歳で死去されるまで、桜新町の発展に多大な貢献をされました。

● 水前寺清子さんも住む町

 水前寺清子さんが、今年8月14日、世田谷区民会館で、「世田谷で被災地支援コンサート」が行われました。

 地元のローカルラジオ局「エフエム世田谷」で水前寺さんがパーソナリティを務める「チータの、ありがとう世田谷」を軸としたコンサートで、多彩なゲストたちが参加され、歌・トーク・コント・地域活性の四要素をミックスした3時間半の大ボリュームのイベントでした。

● 二代目ワンちゃん迎える  三原から一緒に転居してきた「来夢(ラム)」が亡くなってから1年になりました。愛犬の失った生活はやはり寂しく、家族で相談して又、新たに愛犬を迎え入れる事になりました。犬種はやはりラムと同じシーズーに決定。

 今回は中野(東京都中野区新井)のシーズー犬専門のブリーダーさんに頼んで、5月14日生まれの雌犬を迎えました。犬の名前は CoCo(ココ)と 孫娘が名付けました。ココシャネル(CoCo CHANELはフランスの有名な服飾デザイナー)から採ったとの事です。

● 凄い名前のお菓子  娘婿が会社の帰りにこんな物があったと、土産に菓子を買って来てくれました。港区新橋にある店(菓子司・新正堂)で「切腹最中」という名前の最中です。しおりには次のように書かれています。

 早速、食べてみましたが、なるほど、この最中、白い襷(たすき)に、パッと口を開けた皮、その中からドッとはみ出す餡(あん)・・・まさに「切腹」。ボリューム満点の餡、その餡の中には求肥が入っています。現世にこんなお菓子があるなんて、赤穂浪士もびっくりする事でしょうね?  
 
 
 
 
 
第22回トライアスロン さぎしま大会  
 
サムネイル画像です。クリックして拡大してご覧ください。 


スタート直後の競り合い 


2個のブイを回って
向田湾内を2周する


2個のブイを回って
向田湾内を2周する


スーツを脱いで自転車へ・・・・


峠越えに挑戦
 (安棟撮影) 
 


後何周?? 

 ゴール苦闘の後・・・・
寸前の表情

ゴール苦闘の後・・・・寸前の表情
 恒例になっている、8月最終日曜日の佐木島挙げての大イベント「トライアスロン大会」が、今年も去る28日に好天に恵まれて、盛大に、成功裏に行われました。

 個人部門364人、チームリレーに 44組132人が出場して熱戦を展開した。1500メートルの水泳、続いて島を周回する42キロメートルの自転車、10キロメートルのマラソン、と炎天下で競う鉄人レースに、例年通り、島は島民、ボランティア参観者を含めて興奮の渦に巻き込まれた。

 男子総合は広島市中区、会社員原智哉さん(26)が初優勝。女子総合は米子市会社員二分陽子さん(29)が7度目の優勝を果たした。

 主催する「トライアスロンさぎしま大会実行委員会」の役員、ボランティア約500人で設営、運営などに当たり、前夜祭を含めて、炎天下での島一丸となっての温かい対応に、参加選手からも感謝の言葉を沢山いただいていると聞いています。 高齢化、過疎化の厳しい現状で、運営を続けておられる島の皆さんの纏まりの良さには敬服いたします。

 当日、本部付近で取材された泉さんから貴重な写真を頂きました。一部を拝借して、今回は少し違う形で「トライアスロンさぎしま大会」を紹介します。     
 
安棟 勝 記       写真  泉  紘子  
 
 
 
 
 
生きている地球            竹井 清夫  
 
 古代ギリシャ人は地球が丸いことを知っていたそうだ。エラトステネスという人は地球の大きさを計算した。二つの都市で観測された夏至の太陽の高度の差から、周囲は4万6千キロとはじいたという。

 実際は4万キロだから かなり近い。満足な計算器もなかった時代の智慧に驚く。地球の大きさは、むろん当時と変わらない。だが世界の人口は増え続けてきた。先日 国連が、今年10月には70億人に達するという予測を公表した。

 2050年までに93億人、2100年までには101億人を超すという。どこか恐ろしくなる数字だ。地球は誰ひとり振り落とさずに回る。自分もその一員ながら、さぞ重たかろうと案ぜずにいられない。

 1億年を1メートルとして、地球の歴史を46メートルに表したとしよう。原人の登場は最後の2センチにすぎない。そして「ミリ」にも満たない近代以降、私たちは爆発的に繁栄した。この星の恵みを満身に受けながら、わずかな「身ぶるい」で壊れるもろさを、痛感させられたばかりだ。

 或る本で石油について詠んだ一首。

「幾万年地下にありしを  汲み上げて消費して来し の一世紀」{水野昌雄}   

 石油に限らない。長い地球史からみれば、ほぼ瞬時に万物を消尽して華やぐ時代へのおののきが、背後に透ける。 どの資源も無限ではない。農地は疲弊し、海は枯渇が心配される。「飽」を捨て「贅」を削り、貧富と幸 不幸をならして、百億共存を掴み取る智慧が、続く時代はいつの世かね。周囲4万キロの、この限り或る球体の上で歴史は続く。今世も来世も生命は永遠に続くことを信じて、今日も生きている。地球を、国土を大事にしましょう。
                         ボケの老人独り言。  
 
 
 
 
 
川柳ひろば 02号             野村 賢悟
 
 今日は、太平洋戦争に負けてから67回目を数えるが、どうもこの数え方は間違っているようです。京大準教授・佐藤卓己さんの著書「8月15日の神話」によれば、日本がポツダム宣言を受託したのは8月14日だし、米国は日本が降伏文書に調印した「9月2日」を対日戦勝記念日にした。世界から見ればこれこそが終戦の日だ。

 それがなぜ―。宮城前の広場で、玉音放送を聴く、国民の姿が、メディアによって繰り返し流され、終戦の記憶になったとみられる。と述べていますが、私にとっては今でも8月15日が敗戦記念日であることに違いありません。

この稿、中国新聞8月11日参照

 今回からは、当分の間、私の退職記念に、自費出版した「野村賢悟川柳句集」「川柳擬(せんりゅうもどき)」の中から順次発表させて頂きます。

 川柳作品 「川柳擬より」@ 野村賢悟

半歩先あるけと母の遺言状  ●一輪の梅にためらう花鋏
●先頭で夜もおちおち眠れない  ●白旗を立てても人は殺さない
●オクターヴ高いドで吹く冬の笛  ●難しい事は云わずにリンゴ剥く 
●叩かれて駱駝砂漠に糞をする  ●潮騒に地図から消えた島がある 
●三が日怠ける癖をつけただけ  ●人の目を気にして駅を一つ越え 
●乱れたい時もあろうに阿弥陀様  ●盃のせいで諭吉に羽が生え 
●七ケタも書かせて葉書舞い戻る  ●酔ってます仏の前で足袋を脱ぐ 
茶毛ロン毛恋を占う貝合わせ  ●庭石が邪魔だと息子車庫にする 
●湯加減を問うて娘に叱られる   


 
人間も「もどき」なら、川柳も「もどき」この世の中に一体、本物があるのだろうかという疑問からつけたのが、タイトルの理由です。  
 
 
 
「想い出の写真集」NO.1
ヨーロッパ 4カ国研修旅行
        中山 範之  
 
 昭和62年10月、某商社主催でミラノ国際工作機械見本市見学を兼ねた約3週間の日程でスイス・ドイツ・イタリア・オランダの機械メーカーならびに自動車メーカーを見学する企画があり、思わぬ推薦を受けて出張で研修旅行に参加しました。  

 一行は上場企業21社、28名+商社、ツーリスト6名、計34名の旅行団で、工場見学のほか各地観光、登山、パーティ、ミラノ4日間の自由行動など、帰途機上で一睡もせずに書いたレポート以外は楽しい社費旅行でした。  

 もっとも2日間だけ、一行と別れてチューリッヒで本来の業務を果たしましたが・・・今ではとても考えられない良き時代でした。  
   
 
 
 
 
 
 
「想い出の写真集」 NO.2
ベネズエラ出張の想い出         宮畑 明文  
 
 昭和57年(1982年)9月に、ベネズエラに出張したときの想い出です。  

 或る休日にゴルフに誘われたときに、道路わきにこんな店が有り、見ただけでとても美味しそうに見えたので、欲しくなり思わずいっぱい買ってしまいました。  

 ここは首都カラカスから500m以上登ったところで、ヨーロッパの移民が山岳地を開拓して生活をしていると聞きました。カラカスも高度は 1、000mのレベルで、ゴルフ場は 2、000m近い山岳地帯の中にありました。世界一高い所にあるゴルフ場とのことです。「ボールがよく飛びますよ」と言われましたが、下手くその自分には効果はありませんでした。

 赤道に近い地域なので、2,000m近い高度でも寒くありませんでした。ゴルフ場の近くのレストランで食べたドイツ料理とポテトサラダのおいしかった味が忘れられません。  
   
 
 
 
 
 
 
 「想い出の写真集」NO.3
想い出の写真                山本 次郎  
 



 丁度70年前の4月、妹が小学校へ 入学のため友人を誘って家族写真を撮りました。何故か姉が居ません。  

 今は、父母は勿論、兄も姉も鬼籍に 入りました。兄弟は妹と2人だけです。 (尾道市向島町立花の海岸にて)  
 
 
 
 
 
「想い出の写真集」NO.4 
「キンモクセイの香るころ」        佐藤 紀久恵
 
 小学5年生の頃、お弁当を持たないで登校した子供たちは、昼ご飯を食べに家に帰っていた。私はある時マッチ箱をスカートのポケットに忍ばせて昼食後に登校した。仲良しのキヨちゃんと途中で一緒になる。 「キヨちゃん、このなか何だと思う?」とマッチ箱を見せる。 『きくちゃん、振ってみて・・・あれ?音がしないね。』 「匂いをかいでみる?」 『あっ、分かった。金木犀じゃろう?きくちゃんは花が好きじゃけえねえ。』 「うん。庭に咲いとったんよ。」 『ふうん。ええ匂いじゃねえ、今日学校が済んだら遊びに行くね。』 「うん、いいよ。きのうキヨちゃんちにあった、あの本持ってきてね。」 『持って行くけど、ウチが帰った後で読みんさいよ。遊んどるときは 読んだらいけんで』 「わかった、わかった。そうするけえ」

 今でも花と本は大好きで、小学生の頃から変わっていない自分の本質が可笑しくてならない。  

 私の育った村は、今は福山市になっているが、民家も小学校も平地にあった。小学校までは、子供の足で15分か20分かかったように思う。校庭から朱色の屋根が見える生家は、同居していた叔母姉妹が歯科医院をしていた。  

 そのころ女性の歯科医は珍しかったと思え、「広島県 歯科医師 ○○喜代子様」という郡も村も書いていないハガキが届いたことを覚えている。多分、一度や二度ではなかったろうと思う。「良くこれで届くねえ!」とびっくりするやら可笑しいやら・・・その治療室の窓辺に金木犀は植えてあった。

 毎年、ふくいくと香る金木犀が特に好きだった。庭には他にモッコク・サルスベリ・コウヤマキ・松・・・

 あっ、それで思い出したことがある。サルスベリの木の近くで、兄と話をしていて低い竹の柵に腰を掛けたとたん、柵がつぶれて後ろにひっくり返った。後ろは3メートルくらいの石垣で、下は田んぼの用水路・・・ザッブーン! いつもは水が20センチもないのに、幸い田植え時期で、水はせき止めてあり60センチもあったろうか、ずぶぬれにはなったけれど、無傷で立ち上がった。今はお転婆だが、当時はおとなしかった私がずぶぬれで母はびっくりしたと思う。  

 兄弟姉妹は5人。写真はその頃より少し後のもので、一緒に暮らしていた9人家族である。長兄が19歳くらい(大学1年生)・姉は高校3年生・次兄は中学3年生・私は中学1年生・妹は小学3年生・・・と推測するが、中学1年生にしてはなんと幼い私の顔! 『この写真の女性の洋服は全部私が縫った』と、つい最近姉に聞いた。今でも縫物がとても上手でよく縫っている。幸いなことに、今も5人とも健在であるが、両親と叔母姉妹はあちらに見送った。写真の背景は歯科の医療機器。

 この治療室に、《♪ ぎんぎんぎらぎら ゆうひがしずむ・・・♪》の歌をつくられた葛原しげるさん(当時は至誠女子高等学校の校長先生だった)が通院されていた。お茶係の私は、この葛原先生とよく話をさせて貰った。話の内容は全く覚えていないけれど、ニコニコと優しい笑顔が忘れられない。

 叔母は小学校の歯科検診にも来ていた。私は高学年になると授業中に「お、○○、保健室に行って叔母さんの手伝いをして来い」とか言われて照れくさかったが、歯科道具の消毒を手伝った。虫歯の度合いを示す【C1 C2 C3】などの記録も手伝ったように思う。

 学校から帰っても、治療室に出て消毒を手伝っていた。中学・高校になると保険事務の手伝いもした。自分が役に立っているという実感があった。  話はコロリと変わって、当時は納屋の軒下にニワトリ小屋があり、餌やりは私の仕事だった。夕方、菜園のヒズル(ハコベ)や大根の葉を刻み、糠を混ぜて、私が後ろ向きにダイビングした小川の水を混ぜ合わせる。菜園で遊ばせているニワトリを呼ぶ「トウトウトウ、おいでご飯だよ、トウトウトウ」と言うと『コッコッコッ』と寄ってくる。餌を持ったまま小屋に誘導する。10羽ほどのニワトリが餌を食べ始めると卵を頂いて小屋の戸を閉める。生家のニワトリ小屋には、大人の背丈ほどの止まり木があり、夜はそこに跳びあがって止まって眠っていた。ニワトリが小屋に居て、餌を持たずに卵だけを頂こうと入ったりすると、私の肩などに平気で跳んでくる。雄鶏(おんどり)は、朝一番に『コケコッコウー』と時を告げる。雛も産まれ可愛かった。  
 
後列中央が私

 ウサギもいた。ウサギの餌は菜園のキャベツの葉だけでは足りないので、川土手に出かける。冬は土手の草が少なく、籠をいっぱいにするのに時間がかかった。春になってヒメジョオンやヨモギがすくすく伸びてくると嬉しかった。

 最近、小さな名刺版の古い写真を、兄がB6版にカメラ屋さんでプリントしてもらい、兄弟姉妹に配ってくれた。ちょうど「私の想い出の写真」という題で原稿募集を受け、次々と思い出すままに書きつらねました。 茜色が大好きで「夕焼け散歩」と名付けて沼田川のほとりを楽しく歩くが、今はもう取り壊されて駐車場になっている生家の朱色の屋根と、9人家族は私の原点だと思う。  
 
 
 
 
 
『馬跳び』                 大成 昌司  
あそびの風景  
   馬跳び
  土肥あき子
 切り絵・村上保 
 平成23年9月18日の中国新聞朝刊に次のような記事が掲載されていた。           

 馬跳びはひとりが膝に手を置いた状態で馬になりその上を跳び越していくものだが、長馬跳びは少し違う。

 長馬になる組と跳ぶ組に分かれ、馬の頭役は仁王立ちになり、他の子供たちは前の人の脚の間に頭を入れた形でつらなっていく。飛び越す方は、長い跳び箱を跳ぶ要領で、なるべく前の方に勢い良く跳び、全員が馬に収まるように跳んでいく。

 うまく乗ることができずに落馬したら交代。馬が崩れてしまったらもう1回、と繰り返す。

 馬になれば背中に跳び乗られる衝撃と、最後まで重量に持ちこたえなければならない、と言う荒っぽい遊びだったが、それだけに小さな子が交じっていたら負担の少ない一番前や一番後ろにまわしたり、こどもながらにいたわりや経験からくる工夫も見られた。

 大人になるとおおよそ躊躇してしまう姿勢でもあり、もう2度とできない遊びの一つである。

馬跳びの最後に冬を飛び越える  俳人 三木基史

 以上は中国新聞に掲載されていた記事である。

 子供の頃よくやった遊びでなつかしかった。私のころは国民学校と言い、初等科6年間の課程と高等科2年間の課程が併設されていた。初等科を卒業して中等学校や実業学校に受験進学する生徒もいた。

 登校するときは高等科の生徒がリーダーで整列、軍歌を歌いながら登校していた。

 「天に代わりて不義を撃つ、忠勇無双の我が兵は・・・」が「天井にかなづち釘を打つ、チュウチュウねずみのたこおどり・・・」に変えられていた。憲兵に聞こえたらどうなっていたか? 先生も親も非国民とされ、ひどい目にあっていたかもしれない。軍歌より替え歌の方が楽しかった。

 点呼登校始めの前に早く集合して1年生から高等科2年までが一緒に遊んだ。記事にあるように遊びのなかでいたわりの心、遊びの工夫が育まれていったと思う。殴ってはいけないところ、手加減の仕方など喧嘩の仕方、引き方なども高学年から低学年へと引き継がれていた時代だった。  
 
 
 
 
 
 
十年一昔                  神野 敦子 
 
 何時もコーラスの練習終了後、同じパートの8名で、昼食を一緒にとりながら、他愛もない話をしています。年に1〜2度は日帰り小旅行にも行きます。「何処か行かない?」の一声で反対もなく、日取り、行き先が決まります。コーラスは健康的なのか、80代の方3名もお元気で、60代の方達と行動を共にされます。 

 「門司のレトロな建物が見たい」と言う。即決定、「行き先で歩かない」が条件でタクシー会社と交渉。この6月には関門旅行を楽しんできました。

 次の時に「門司に人力車が走っていた」と誰かが言う。そう云えば「昔はお医者さんが乗って往診に来てくれたね」段々昔話になった。最近の事は忘れても昔の事は直ぐによみがえってきます。「30年ごろはまだ街中馬車が走っていたし、トラックは三輪トラック、自家用車などなかったわ」そう言えば空の馬車に乗せて貰ったわ」とガヤガヤ「今、朝ドラで教科書を墨で消していたけど本当?」「消したよ」と私。

  80代の人は「女学校と言っても工場で働かされ、勉強はしなかったわ」と、 「英語は使用禁止と聞いた事が有るけど?」「そう・・・音楽もドレミは、戦後初めてよ。春の小川は「ホトイトホトハハイイトホハ二ホ、ホトイトホトハハイイトホ二ホニ、と譜読みで歌うと「エッ?そんなの貴重よ」、と身を乗り出して聞いてくれた。

 60代の人が理解できないのは、戦前戦後の学校の制度。80 代の人が女学校、あまり歳が違わない私が、新制中学だったのが理解できず「新制中学が今の中学よね」「そうよ」で、半信半疑で収まった。 「神風って吹くと思っていた?」「そうよ」「皆?」「そうよ」「戦争に勝つ!と思っていた?私はどうしても 納得いかない!」と何度も繰り返し、最後まで理解出来なかった60 代の人。

 まあ、ひと回りも歳が違うと10 年一昔とつくづく思った。本当に世の中が目まぐるしく動いた時代に青春を過ごし、現在の環境の中での健康を有難いと思う。  
 
 
 
 
 
大型台風12号上陸!       泉 紘子  
 
   
   
 
  猛暑の中8月も終わりに近づきかけたとき、 はるか南の海上に、小さな 台風の卵が産まれました。  最近のややこしい世界的な異常気象のせいか、のらりくらりと、来るのか来ないのか? 忘れた頃に、四国沖まで自転車で漕いでる速さで来ていました。そこからの永いこと、どうするの? どこへ行くの? 

 私達も9月の初めに京都に行くことになっていたのですが予定変更!お隣さんは恒例の西国めぐりの旅に出かけましたが、ここ鷺島は離島のため、台風警報が出ると本土との交通手段は断たれます。思ったより早く台風の影響を受けて警報が出たのです。

 9月1日私の日舞の稽古に出かけて行く途中の事です、海の防波堤を見ると、ウワアアア!なんじゃこれは! 良くテレビのニュースで台風の実況放映している場面です。チョット興奮気味で急いでカメラを取りに帰りカシャカシャと打ち寄せる白い波頭をアメニモマケズカメラにビデオに収めました。 次の日はカメラ片手に鷺島一周、釣り船を台風から守るためロープでしっかり固定したり、前日の強風で切れたロープを補強したり、皆さんたいへんです。

 いつもは、我が家の前は、のどかに色んな船が行ったり来たりしていますが、なーんも来ない海は寂しいですね、でも風が強いときは白波がいろいろな形に変化して飽きません。警報が出るチョット前に高速艇が白波をかきわけて走っている姿は逞しく感じました。 その時はまだ海も青く白波とのコントラストは心がワクワクしました。 

 それにしてもお隣さんは大丈夫かしら? きっと台風がもう少し遅いと思ったのでしょうね。留守番している犬もいるのにヤキモキしていることでしょう。

 防波堤に打ち寄せる大波小波中波! どど〜ん!どど〜ん!ばしゃ〜ん! 力強く何物も砕いて終いそう。幸い鷺島は、たいした被害も無くて友達の作業小屋が強風に煽られて倒壊したことくらいかな、廃屋寸前の小屋でした。ちなみに、この小屋は安棟さんの隣りです、びっくりされたと思います。
 
 
 
 
 
大型台風の被害??          安棟  勝  
 

  3日の朝、庭の南側にある農家の作業小屋が無くなっている!「あれっ!」と思って良く見ると、完全に倒壊しているではないか?「ビックリ!」気楽に、寝ている間に結構ひどく吹いたのだなと「冷や汗」の感だった。  

 この小屋は、タバコ栽培時の「乾燥小屋」として建てられ、ミカンに切り替えてからは、仮の作業小屋として利用しておられた古いものだった。  
 
 
 
 
 
  編集後記   
 
 災害・円高と、日本列島大丈夫かな!と思う位の暗いニュースばかり。でも流石日本人、復興の兆しが見えてきました。総力を挙げたいものです。  

 今月は安棟が編集を担当しました。皆さんに、陰のご協力をお願いして、お力添えを頂き、何とか纏める事が出来ました。ご協力くださった方々と貴重な原稿をお寄せ下さった皆様には紙面を借りて、厚くお礼を申し上げます。有難うございました。  

 次号(11月号・141号)は山本・播摩さんにお願いしました。継続のためには皆様からの、多数の原稿が何よりも必要です。宜しくお願い致します。      (安棟記)